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「チョムスキ−9.11」 [映画]

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「誰だってテロをやめさせたいと思っている。簡単なことです。参加するのをやめればいい。」
ノーム・チョムスキー





同時多発テロ後のチョムスキーの講演の様子とインタビューの模様が中心。劇的な映像やセンセーショナルな場面がある訳でもない。
彼の語りっぷりは激昂するでもなく、煽動するでもなく、淡々としてるんだけど、なんというか、ぐいぐい引き込まれて聞き入ってしまう。

アメリカが何をして何をしなかったか。
少数の利権のために暴力にさらされる貧しい国々について。
時にユーモアを交え、穏やかな表情で、けれど確実に人々の心に到達する言葉を放つ。

この映画は、精神的にかなーり追い詰められた状態で視聴しましたもので、特に思い入れがあるのです。映画にというか、チョムスキーじいちゃんに。
気付いたら、滂沱の涙でしたね。どうして泣いてんだかわかんないんだけど、泣けて泣けて仕方がなかった。
テロと戦争について語る彼の言葉は、私の直面していた個人的な問題をも読み解いてくれたと思うんです。

政治的発言が、なぜここまで心に響くのかと思うけど、考えたら政治に関わりなく生きる人間が居るだろうか?
私の抱える問題と政治の抱える問題に違いはないのだ。


この映画での、チョムスキーの言葉。

「他人に踏みつけられて喜ぶ人などいません。」
当たり前のことなのだけれど。
人を踏みつけて当然、と思っている人間が居て、そういう人間はまったき疑いなく、人を踏みつけにする。
踏まれた人間はときに、自分は踏みつけられて当然なのかもしれない、と思ってしまう。
チョムスキーは明確に言い放つ。踏みつけられて当然な人間など、居ない、と。


社会の改革のために人生を賭けるべきか、との問いに対して
「あなた次第です。あなたのことがわかるのはあなただけだ。何であれ、誰にも教えられません。」
チョムスキーは、誰かにああしろこうしろ、とは言わない。
署名しろ、寄付しろ、と言わない。
そしてさらりとこんなふうに答えたりする。あらゆる人生相談に答えうる、普遍的な答え。
突き放す訳ではない。眼差しはやさしい。


「偽善者とは、他人に適用する基準を自分に対して適用しない人間のことです。
アメリカの中東政策についての言葉。


「世界はバラ色ではないがよくなっている。」
悪くなっていくばかりのように思える世界のことを、よくなってきている、と言う。
奴隷制度はマシになった。反戦・平和運動は成熟してきた。人間は、確かにマシになってきている、と言う。


「何でもできるのですよ、意思さえあれば。」
アメリカの大衆に対しての言葉。
アメリカでは現在、政治的発言をしても捕まったり拷問されたりすることはない。
なんでもできる。可能性は無限。


チョムスキーの言う事をすべて鵜呑みに信じる訳にはいかないだろうとは思う。
自分のアタマで考えなきゃな。

でも、この人は正しく闘う姿を見せてくれる。
ナイフも銃も持たず、絶望せず、希望を持ち続ける姿を見せてくれる。
その姿は信じることができる。
信じられるものがあれば、人間は強くなれる。と思う。





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