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「西鶴一代女」 [映画]

溝口で号泣するとは思わなかった。っていうのは、溝口映画って画の精度で目に訴えてくるものの、お話的に情に訴えてくるところは抑えめだなあと思ってたから。(で、そういうところも好きなのね。泣けたり笑えたりすれば優れた表現かってーと、違うと思うし)

もちろん、全編を貫く物語は強く機能していて、精緻な映像と噛み合うダイナミズムでぐいぐい引き込まれる映画の力はハンパではないんだけども。(作品によってムラがあるような気はするけど。)
けれども、個人的には、とにかく画。絵巻物を広げるようにあらわれる、その鮮やかさ。画が放つ精妙な力に、毎度毎度しびれてしまう。

で、「西鶴一代女」。参った。
やっぱり、凄い画。
ほとんど体感的に快い、ひたすら快い映像の運動。
モノクロなのに鮮やかな色彩を感じる、むしろモノクロだからこそ無限の色彩をも感じさせ得る、鮮やかな、鮮やかな画。
さらっと瑞々しい質感は、生々しさとかエグさとは一線を画しながらも、活き活きと、ありありと物質を表しめる。
大胆で精緻な構図は、滑らかでスムーズな画の動きによって力強さを増す。
首の後ろの毛がちりちりするような緊張感。

話の筋立てはシンプルで捻ったところもなく、下手すると陳腐になりそうなくらい、直線。

身分も教養も高く御所に仕えていたお春が、身分違いの恋を咎に都を追われ、武家の側室になって世継ぎを生んだら用済みとばかりに追い出され、親の借金のために遊郭に売られ、年季明けで帰ってみたら奉公先の主人に言い寄られるわ奥方の悋気に苛まれるわ、ようやく良縁に恵まれて幸せになれるかと思ったところ盗賊に夫を殺され、寺に身を寄せるものの先の奉公先の奉公人の起こしたごたごたに巻き込まれ、とうとう行く宛もなく夜鷹に身を落とす。

なんだよこの話、無茶苦茶じゃーん、って思うんだけど、その無茶苦茶に引きずり込まれ、なぎ倒され、動かされる。
お春が酷いめに遭うのはわかってるからハラハラ身構える。で、いくら身構えててもお春に災厄が降り掛かるたびにダメージを受ける。お春が哀れで哀れで仕方がないんだけど、同時に、もっと堕ちればいい、とも思う。
ぼろぼろになったお春が、立派な武家の若君、それは引き離された我が子であるわけだけれども、その道中に行き会い、もちろん声をかけることなどかなわず遠目に見送って、我が子への思慕と彼我を隔てる境遇の惨さとに泣き伏す場面には、すっかり遠慮なく泣いた。で、人を哀れんで泣くのは大変気持ちがよい、とも思った。

お春が気の毒なめに遭えば遭うほど、胸がすく。
夜鷹として買われ、連れられた先で「このような化け猫相手に女遊びをしたいのか」と女郎買いを戒めるための晒しものにされ、猫の真似をしてみせる場面は白眉。
彼女を不幸に追いつめる数多の男の手前勝手、厭らしさが際立って浮き彫りにされる。
様を見ろ。的な、爽快な悲しさ。
こういうとこは「祇園の姉妹」の芸妓おもちゃの言「男なんか」に繋がるのかも。

かわいそうなお春のお話。
悲劇に酔う。
すっかり陶酔してしまいましたことよ。







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