「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン」東京都写真美術館 [展覧会、イベントなど]
お誘いをいただいて、ひっさしぶりに美術館に行きました。
東京都写真美術館は、商業施設どまん中にあるんでビミョーに小市民なこぎれい感なんだけど、ところどころにモダンデザイン! コンセプチュアル! アーバン! 頑張ってるんです! ていうトンガリもあり、わりと好きな美術館。ミュージアムショップも楽しい。
で、企画展「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし」。
大判のプリントがある訳でもないし、地味めでこぢんまりした展覧会だったんだけど、おっもしろかった!
それぞれの作風とか写真表現への考え方とか、比較して観ることによってその違いや特徴が際立ってきて理解が深まる。
木村伊兵衛の写真はびっくりするくらいフツーの写真で、現代のスナップ写真とかとほっとんど印象が変わらない。誰でも撮れんじゃないかってくらいなさりげなさとありふれた感。つってもテキトーな訳ではなく、構図も明暗のバランスもきっちり計算されててんだけど、わざとなんかハズすようなとこがある気がする。破調っていうか、敢えてバランスを崩してキメ過ぎからずらす。
で、それゆえの生々しいライヴ感。明治の人々の姿がフツーに生きててそこいらに居そうなリアル。
アンリ・カルティエ=ブレッソンは狙い済ましてコンセプチュアル、広告的な鋭さとスマートさ。トリミングなしで構図がバチバチに決まってるのが凄過ぎる。こちらはフツーの人々がモデルとして完成された瞬間を捉える感じ。ガチガチのキメキメ。
ふたりのコンタクト・シート(コンタクト・プリントとも言う。いわゆるベタ焼き)が並べて展示されてたのがすんごいおもしろい。それぞれの撮り方の違いが如実にあらわれてる。
木村は、結構遊びながら撮る感じ。あれこれ構図を試したり、撮りながら画をつくってく。その場の雰囲気や被写体に画づくりを預けていく感じで、物語的な感もあり。
ブレッソンは、撮りたい画が頭ん中にかなりキメキメで在るっぽくて、あまり迷わない。同じ構図で狙った画が来るのを待ち、瞬間を捉える。take a picture じゃなくって shoot the photo ってことなんだろな。
もちろん、木村にもキメキメな撮りはあるし、ブレッソンもルポルタージュ的な現場雰囲気重視もあり、ふたりとも作家性は固定されたものではなく、かなり幅が広い。依頼によって使い分けられてるんだと思う。
比べて改めてそれぞれの作家性みたいなんが鮮やかに感じられておもしろかったです。
それから、「躍動するイメージ 石田尚志とアブストラクト・アニメーションの源流」ていうのも見物してきた。
アブストラクトってのは抽象ってこってすな。
馬が走るとこを連続写真で撮ってゾートロープとかパラパラ漫画の原理で動かしたのがアニメや動画の原点。
で、抽象アニメーションとなると、具象物の実際の動きを再現するっていう映像づくりとは違って、画が動くとか形態の変容を描くことに、より概念的に迫っていくことになる。
即ち、画が動く→視覚表現に時間軸を持ち込む。時間の知覚というのは聴覚的であろうから、方向性としては視覚表現と聴覚表現の融合、みたいな共感覚的なことになってく訳なのかな。つまり具体的には音楽の映像化、映像の音楽化。
実際、ディズニーの「ファンタジア」の元になった試みも紹介されておった。
興味深いんだけど、展示された作品としてはいささか頭でっかちで体感的な快さには欠ける。
つか、初っ端の「馬が走る!」ていうだけの動画がめっさ気持ちよくってサルのように繰り返して観てしまう。
とりあえず、それに勝ってるアブストラクト作品はなかった。
でもまあおもしろかったです。パラパラ漫画つくりたくなった(笑)。
東京都写真美術館は、商業施設どまん中にあるんでビミョーに小市民なこぎれい感なんだけど、ところどころにモダンデザイン! コンセプチュアル! アーバン! 頑張ってるんです! ていうトンガリもあり、わりと好きな美術館。ミュージアムショップも楽しい。
で、企画展「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし」。
大判のプリントがある訳でもないし、地味めでこぢんまりした展覧会だったんだけど、おっもしろかった!
それぞれの作風とか写真表現への考え方とか、比較して観ることによってその違いや特徴が際立ってきて理解が深まる。
木村伊兵衛の写真はびっくりするくらいフツーの写真で、現代のスナップ写真とかとほっとんど印象が変わらない。誰でも撮れんじゃないかってくらいなさりげなさとありふれた感。つってもテキトーな訳ではなく、構図も明暗のバランスもきっちり計算されててんだけど、わざとなんかハズすようなとこがある気がする。破調っていうか、敢えてバランスを崩してキメ過ぎからずらす。
で、それゆえの生々しいライヴ感。明治の人々の姿がフツーに生きててそこいらに居そうなリアル。
アンリ・カルティエ=ブレッソンは狙い済ましてコンセプチュアル、広告的な鋭さとスマートさ。トリミングなしで構図がバチバチに決まってるのが凄過ぎる。こちらはフツーの人々がモデルとして完成された瞬間を捉える感じ。ガチガチのキメキメ。
ふたりのコンタクト・シート(コンタクト・プリントとも言う。いわゆるベタ焼き)が並べて展示されてたのがすんごいおもしろい。それぞれの撮り方の違いが如実にあらわれてる。
木村は、結構遊びながら撮る感じ。あれこれ構図を試したり、撮りながら画をつくってく。その場の雰囲気や被写体に画づくりを預けていく感じで、物語的な感もあり。
ブレッソンは、撮りたい画が頭ん中にかなりキメキメで在るっぽくて、あまり迷わない。同じ構図で狙った画が来るのを待ち、瞬間を捉える。take a picture じゃなくって shoot the photo ってことなんだろな。
もちろん、木村にもキメキメな撮りはあるし、ブレッソンもルポルタージュ的な現場雰囲気重視もあり、ふたりとも作家性は固定されたものではなく、かなり幅が広い。依頼によって使い分けられてるんだと思う。
比べて改めてそれぞれの作家性みたいなんが鮮やかに感じられておもしろかったです。
それから、「躍動するイメージ 石田尚志とアブストラクト・アニメーションの源流」ていうのも見物してきた。
アブストラクトってのは抽象ってこってすな。
馬が走るとこを連続写真で撮ってゾートロープとかパラパラ漫画の原理で動かしたのがアニメや動画の原点。
で、抽象アニメーションとなると、具象物の実際の動きを再現するっていう映像づくりとは違って、画が動くとか形態の変容を描くことに、より概念的に迫っていくことになる。
即ち、画が動く→視覚表現に時間軸を持ち込む。時間の知覚というのは聴覚的であろうから、方向性としては視覚表現と聴覚表現の融合、みたいな共感覚的なことになってく訳なのかな。つまり具体的には音楽の映像化、映像の音楽化。
実際、ディズニーの「ファンタジア」の元になった試みも紹介されておった。
興味深いんだけど、展示された作品としてはいささか頭でっかちで体感的な快さには欠ける。
つか、初っ端の「馬が走る!」ていうだけの動画がめっさ気持ちよくってサルのように繰り返して観てしまう。
とりあえず、それに勝ってるアブストラクト作品はなかった。
でもまあおもしろかったです。パラパラ漫画つくりたくなった(笑)。
アンリ・カルティエ=ブレッソン氏の作品は母校で観る機会が何度かありました。経緯は知りませんが、ブレッソンと大阪藝大は友好関係をもっていまして、毎年作品を寄贈されていました。学内に図書館と音楽堂とレストランを併設した「情報センター」があって、彼の作品が飾られています。大学にはかれこれ20年遊びに行っていませんが、今でも展示しているでしょう。
私はオランダのエルスケン氏の作品のほうが好きですね。たぶん28mの広角でアップを撮っているから、短時間で被写体との信頼関係を得る名手なのかなと驚きの作品ばかりです。
by 晴雨堂ミカエル (2009-12-25 14:43)
>晴雨堂さん、コメントありがとうございます。
写真ていう表現は、(絵画などに比べて)個性や作家性がさほど強くないと思いきや、逆に際立ってその作家らしさ、人柄、意思や感情があらわれるようなところがあるもんですね。
エルスケンはおっしゃるとおり、親密さがありますね。人懐っこい感じ。
by シロタ (2009-12-26 21:03)