武蔵野美術大学 基礎デザイン学科 [雑事、雑文]
→武蔵野美術大学 公式webサイト→基礎デザイン学科
2010年1月29日〜2月1日の期間、卒業制作展をやってますね。昨年観に行って、ものすごくおもしろかったんで行けそうな方にはぜひお薦めです。なまじな美術展よりか見応えあり。基礎デの原研哉ゼミが滅法おもしろかった。
武蔵野美術大学基礎デザイン学科、略して基礎デ。
実を言うとシロタは10数年前、この学科の学生でありましたのです。
別記事で紹介している「デザイン学―思索のコンステレーション」の著者、向井周太郎先生の講義も受けたことがあったのだけれど、当時は(今よりも)馬鹿で、(もっと)怠惰であったので、向井先生の研究や著作の意義やおもしろさがまるでわかってなくって、それどころか講義の時間を昼寝に充てるという罰当りっぷり。
今になって向井先生の著作を読むと、ものすごくおもしろい。知的興奮に満ち満ちてエキサイティング。
学生時分の己を張り倒したい勿体なさなんだが、学生なんてそんなもんなのかもな。
基礎デザイン学科、というのは、実はムサ美の学内でも、他学科の学生にはどういう学科なのか今ひとつ理解がおぼろげな、ナゾの学科でありました。
デザインといえば、視覚伝達デザインとか工業デザインなどの専攻があり、例えばグラフィックデザイナーになってポスターつくるぜ、とか、ホンダで車のデザインすんぜ、とか目的がぱしっと見えて、作品も感じがつかめる。
そんな中で、基礎デザインて何?と尋ねられても甚だ説明に困ったものでした。
今まででもっとも通りがよくってわかりやすかったのは、某大学の教授がおっしゃったひと言。いわく、
「基礎デザイン学は実学ではなく虚学である」
デザイナーになるための実学ではなく、虚学。まあ付け加えれば、虚学と実学を往還する試みをも含みます。
またこの教授はその際に「基礎デザイン学科はムサ美の良心だ」とも言。
うん。高度情報化社会、消費社会においていよいよと重要な学問であるかもしれん。
なんとなれば、デザインとは単に、“見ため”のことではない。
見ためがよくって売れればよいデザインか、よいのだとしたら誰にとってよいデザインなのか。
例えば、あるモノが生産・流通・使用されるにあたって、いち私企業が儲けまくる一方、労働者は低賃金で過重な労働を強いられ、環境には負荷りまくりで景観を乱し特定不特定の生物を殲滅し、地方自治体は消費された後のゴミの始末に困り果てる、っていうのは美しいデザインであるか。
それは政治や経済の仕事であって、デザインの仕事ではない、と考える人もあるかもしれない。一般にデザイナーの仕事って現場仕事だし。ましてや“見ため”担当とされていれば、企画段階で無理のあるモノを強引につくらされるなんてこともあり得るわけで。(ていうかそういう話たらふく聞くもんな。成績にガツガツする営業マンの上司ウケ熱血企画の尻拭いとかさ。想像するだにげっそりするわ)
けれども、政治や経済の仕事をする人たちはデザインの現場やものづくりを知らなかったりする。だから、ものづくりの視点で政治経済する、って考えるんでもいい。
ものづくり全体から、ひいては社会全体、さらには命が循環する世界全体をも考えることが必要である。
そしてそれをデザインという切り口で、実践的に、創造的に考える、それがデザイン学な訳です。
デザイン学においては、色、かたち、見ためだけでなく、機能、安全性、価格、流通形態、原材料、コスト、環境に与える影響、生産ラインの設計や、生産にあたる労働者の労働形態まで、デザインを考慮する要素に含まれる。
ひとつのモノをデザインすることは、使う人やつくる人、売る人、関わる人すべての生活や生命が循環する世界をもデザインすることである。
そして、それが多くの人にとって、人を取り巻く環境をも含めて、あらゆる見地から見て、真に美しいデザインであるか、ということ。
そこに、哲学や理念が必要にならないわけがない。
人が幸福に暮らせるための世界、それを理論としてだけではなく色や形をもって目にしたり手に触れられる“かたち”に表す(=デザイン)ための学問であるのです。
でもって基礎デザイン学科の“基礎”っていうところでは、職能的に専門分化されたさまざまなデザイン分野に通底する要素を探究・考察していきます。細分化された領域から、基礎へと遡行して考える、その基礎って何か。あるモノのかたちをデザインしようとするときに基礎となる考え方とは。その色や形やマテリアルの捉え方は。
実際のワークとしては、バウハウスの基礎教育課程(Grundlehre)をルーツに、デザイン史や色彩論、形態論、記号論、知覚方法論、言語表現論、コミュニケーション論などを修めつつ、最終的にはそれぞれが具体的な課題を設定して取り組むような感じだったかと。→現在のカリキュラム概要
なので、基礎デザイン学科の英訳もBasic DesignではなくってScience of Designとなります。
なお、ものすごくざっくり噛み砕いた紹介なので、詳細は基礎デザイン学会設立趣旨をご参照いただくと正確です。
また、tanahashiさんのブログ、DESIGN IT! w/LOVEの記事「基礎デザイン学」が素晴らしいのでぜひにお薦めです。
馬鹿学生であったことを反省しつつ、馬鹿なりにこの学問を(一応)修めた身として、デザイン学の一端を紹介できればよいなー、と思いました次第。
2010年1月29日〜2月1日の期間、卒業制作展をやってますね。昨年観に行って、ものすごくおもしろかったんで行けそうな方にはぜひお薦めです。なまじな美術展よりか見応えあり。基礎デの原研哉ゼミが滅法おもしろかった。
武蔵野美術大学基礎デザイン学科、略して基礎デ。
実を言うとシロタは10数年前、この学科の学生でありましたのです。
別記事で紹介している「デザイン学―思索のコンステレーション」の著者、向井周太郎先生の講義も受けたことがあったのだけれど、当時は(今よりも)馬鹿で、(もっと)怠惰であったので、向井先生の研究や著作の意義やおもしろさがまるでわかってなくって、それどころか講義の時間を昼寝に充てるという罰当りっぷり。
今になって向井先生の著作を読むと、ものすごくおもしろい。知的興奮に満ち満ちてエキサイティング。
学生時分の己を張り倒したい勿体なさなんだが、学生なんてそんなもんなのかもな。
基礎デザイン学科、というのは、実はムサ美の学内でも、他学科の学生にはどういう学科なのか今ひとつ理解がおぼろげな、ナゾの学科でありました。
デザインといえば、視覚伝達デザインとか工業デザインなどの専攻があり、例えばグラフィックデザイナーになってポスターつくるぜ、とか、ホンダで車のデザインすんぜ、とか目的がぱしっと見えて、作品も感じがつかめる。
そんな中で、基礎デザインて何?と尋ねられても甚だ説明に困ったものでした。
今まででもっとも通りがよくってわかりやすかったのは、某大学の教授がおっしゃったひと言。いわく、
「基礎デザイン学は実学ではなく虚学である」
デザイナーになるための実学ではなく、虚学。まあ付け加えれば、虚学と実学を往還する試みをも含みます。
またこの教授はその際に「基礎デザイン学科はムサ美の良心だ」とも言。
うん。高度情報化社会、消費社会においていよいよと重要な学問であるかもしれん。
なんとなれば、デザインとは単に、“見ため”のことではない。
見ためがよくって売れればよいデザインか、よいのだとしたら誰にとってよいデザインなのか。
例えば、あるモノが生産・流通・使用されるにあたって、いち私企業が儲けまくる一方、労働者は低賃金で過重な労働を強いられ、環境には負荷りまくりで景観を乱し特定不特定の生物を殲滅し、地方自治体は消費された後のゴミの始末に困り果てる、っていうのは美しいデザインであるか。
それは政治や経済の仕事であって、デザインの仕事ではない、と考える人もあるかもしれない。一般にデザイナーの仕事って現場仕事だし。ましてや“見ため”担当とされていれば、企画段階で無理のあるモノを強引につくらされるなんてこともあり得るわけで。(ていうかそういう話たらふく聞くもんな。成績にガツガツする営業マンの上司ウケ熱血企画の尻拭いとかさ。想像するだにげっそりするわ)
けれども、政治や経済の仕事をする人たちはデザインの現場やものづくりを知らなかったりする。だから、ものづくりの視点で政治経済する、って考えるんでもいい。
ものづくり全体から、ひいては社会全体、さらには命が循環する世界全体をも考えることが必要である。
そしてそれをデザインという切り口で、実践的に、創造的に考える、それがデザイン学な訳です。
デザイン学においては、色、かたち、見ためだけでなく、機能、安全性、価格、流通形態、原材料、コスト、環境に与える影響、生産ラインの設計や、生産にあたる労働者の労働形態まで、デザインを考慮する要素に含まれる。
ひとつのモノをデザインすることは、使う人やつくる人、売る人、関わる人すべての生活や生命が循環する世界をもデザインすることである。
そして、それが多くの人にとって、人を取り巻く環境をも含めて、あらゆる見地から見て、真に美しいデザインであるか、ということ。
そこに、哲学や理念が必要にならないわけがない。
人が幸福に暮らせるための世界、それを理論としてだけではなく色や形をもって目にしたり手に触れられる“かたち”に表す(=デザイン)ための学問であるのです。
でもって基礎デザイン学科の“基礎”っていうところでは、職能的に専門分化されたさまざまなデザイン分野に通底する要素を探究・考察していきます。細分化された領域から、基礎へと遡行して考える、その基礎って何か。あるモノのかたちをデザインしようとするときに基礎となる考え方とは。その色や形やマテリアルの捉え方は。
実際のワークとしては、バウハウスの基礎教育課程(Grundlehre)をルーツに、デザイン史や色彩論、形態論、記号論、知覚方法論、言語表現論、コミュニケーション論などを修めつつ、最終的にはそれぞれが具体的な課題を設定して取り組むような感じだったかと。→現在のカリキュラム概要
なので、基礎デザイン学科の英訳もBasic DesignではなくってScience of Designとなります。
なお、ものすごくざっくり噛み砕いた紹介なので、詳細は基礎デザイン学会設立趣旨をご参照いただくと正確です。
また、tanahashiさんのブログ、DESIGN IT! w/LOVEの記事「基礎デザイン学」が素晴らしいのでぜひにお薦めです。
馬鹿学生であったことを反省しつつ、馬鹿なりにこの学問を(一応)修めた身として、デザイン学の一端を紹介できればよいなー、と思いました次第。
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