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「新聞一束」「残光」吉田健一 [書籍]

「戦争に反対する唯一の手段は。−ピチカートファイヴのうたとことば」ていうCDがあって、そのタイトルの由来が吉田健一の一文なのですね。

「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。」

しびれる。
文もかっこいいんだけど、この一文がジャケット下方にさらりと流してあって、シンプルな表記ゆえに文のかっこよさが強烈にキく。ついついジャケ買いタイトル買いなんだけど、この文がどういう文章のどういう文脈で語られたものなのかっていうのはわからなかったのな。
そもそも吉田健一の著作を読んだことがなく、以来、一度読んでみたいなー、と、気になってたのでした。

あれこれ調べてみると、どうやら初出は新聞に連載された短文、「長崎」ていうコラムのようです。そも標題がつく性格の文章ではなかったらしく、単行本に纏められたり、そこからまたバラして足して纏めなおしたりされるたびに異なった標題がつけられたりしてるみたいで、探すのにはちょっと苦労した(後述)。


読。
拍子抜けするくらいあっさりした短い文で、気負ったようなところも全然なくって、ここだけ読んでもするっと流しちゃうかもしれないくらいにさりげない。
普通のテンション。平熱な、常温な印象。
長崎に赴いた際、被爆の跡を思わせるものが残っておらず、美しい街並みや公園が出来てきていることを観察している。そのことを喜ばしく思うことを滲ませつつ、「戦争に反対する最も有効な方法が、過去の戦争のひどさを強調し、二度と再び……と宣伝することであるとはどうしても思えない。」と言う。
「戦災を受けた場所も、やはり人間がこれからも住む所であり、その場所も、そこに住む人達も、見せものではない。古傷は消えなければならないのである。」(p.97)
そこに続けて冒頭の一文、
「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。」(p.97)
と来るわけです。

新聞連載であるから時事に触れることも多く、戦後間もない時勢の、反戦平和や民主主義の希求が声高に熱く叫ばれる風潮に対して言及する文章もたびたび。
「戦争反対」ていう文もあって、そこではこのように言う。
「核戦争が恐ろしいから戦争に反対するならば、核兵器で威しつければ戦争に賛成することになる。もっと小さなこと、例えば、お前を殺すぞと言われるだけで賛成することになるかも知れなくて、大概そんなのがこの前の戦争に賛成した。戦争に反対するのは道徳上の要求であり、我々自身の都合からではない。我々はこれから本腰で戦争に反対しなければならない。」(p.158)

右とか左とか保守とか反体制とかどっちかに拠るのじゃなくって、そのときどきに状況を考えて自分の意見をしっかり持つってこと。
で、それがすごく普通で当たり前のことのように平熱で語られる。大人ってこういうことかと思う。

ところで、これらの時評コラム的な仕事は吉田健一の著作として突出してる訳ではなく、本来的な仕事は英文学や翻訳、また食い物や酒肴の話とかも評判であるらしい。
わたしが参照した「吉田健一著作集 第十三巻」(集英社)にも、「残光」と標題していくつかの短編が収められているのだけど、確かにお酒飲んだりご飯食べたりの描写がいちいちキいてておもしろい。

「出廬」っていうお話では、たちばな食堂っていうお店が舞台で、店の様子やそこを訪れる客の様態の描写がすごくイイ。特に美味とか洒落てるとか特別なお店という訳ではなく、おでんとか煮込みとか酢の物とか、酒の上とか並とか、フツーの品書きの並ぶフツーな食堂で、そのフツー加減、特別じゃなさが想像をくすぐる感じ。そこいらへんにありそうなお店の、濃厚な“そこいら感”ていいますかね。
で、劇的なお話って訳でもないし、食堂の主人の荒木さんと常連の煙草屋店主・三郎兵衛さんの日常と、ちょっとした出来事がさらっと描写される、その描写の妙が味わいどころな読みもの。

「邯鄲」ていう短編はまた可笑しくて、全編これ飲み食い享楽の顛末、しかも夢オチ。
温泉に出かけて飲み食いして気がついたら別の場所で、また違うものを飲み食いして、美人に化けた狐の酌で飲んで、お礼に狐うどんをご馳走して(狐は喜んで尻尾振ったりする。可笑しい)、またどっか別の場所でブルゴオニユうまーとかって飲んで、酔っ払っておいおい泣いて、かと思ったらでかいオムレツをうまーって食ったり、飛行機の小瓶の酒をあれこれ試したり、カレーライスをうまうま食って、終いにはカレーソースん中を泳ぎながらもりもり食って、カレーの中に沈みそうになったとこで目が覚める。何やってんだ(笑)。

お酒飲むとこは実に旨そう。わたしは下戸なのだけど、旨い飲みものっていう観念を味わうには上戸も下戸もありゃしないわけで、文章の酒ならわたしも飲めるのだ。うまうま。


出典の書籍について。
件の「戦争に反対する唯一の…」ていう文を有するコラム「長崎」の所収を整理すると、
(1)初出は朝日新聞「きのうきょう」欄、1957年(昭和32年)1月4日~6月28日にかけて連載。
(2)単行本「作法無作法」(宝文館、1958年(昭和33年)2月刊行)に「一枚半時評」と題されて所収。
(3)「作法無作法」から、「一枚半時評」他、新聞コラム的な性格の短文群が解体され、他の連載なども付け加えられて「新聞一束」(垂水書房、1963年(昭和38年)6月刊行)として単行本化、「籤つきの年賀状」と題されて所収。
(4)「吉田健一著作集 第十巻」(垂水書房、1963年(昭和38年)6月刊行)に所収。
(5)「感想B」(垂水書房、1966年(昭和41年)10月刊行)に所収。
(6)「吉田健一著作集 第十三巻(新聞一束 残光)」(集英社、1980年(昭和54年)10月刊行)に所収。

わたしは(6)の書籍で参照。他にも収められてんのがあるのかもしれないけど追いきれてません。
要するに「作法無作法>一枚半時評>長崎」と、「新聞一束>籤つきの年賀状>長崎」の二系統の纏めがあるっぽいのね。しかも全集に纏められるときにまたバラされたりしてる。
ちなみに「吉田健一著作集 第五巻(酒宴 作法無作法)」(集英社)には「長崎」は収録されていません。こういうのがちとややこしい。






タグ:吉田健一
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コメント 6

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t-nissie

すごい捜査力!
「第五巻」になかったので検索したらここにたどり着きました

RIKUOという歌手も「パラダイス」という曲で引用してました

ありがとうございました〜

by t-nissie (2010-05-19 20:25) 

シロタ


t-nissieさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

いえ、吉田健一の著作は素性が追いやすい方なんだと思いますよ。
新聞時評のコラムまで初出が明記されてるなんて、並み以下の作家には期待できません。
所収の行方も、全集の13巻の巻末に整理されて書いてあったまんまなんです(笑)。
でも、お役に立てたなら幸いです。

それにしても、さりげなく書かれた新聞時評の文言に、今でも多くの人が感銘を受けているんですね。


by シロタ (2010-05-21 13:57) 

お鈴

この一節、
以前シロタさんに教えて頂いた時、本当に感動しました。

最近、
友人と戦争はなくなるか。という話をしたり、
(友人は断言はしたくないけどなくならないかも派、
 私はなくなると信じたい派)
米国同時テロのドキュメンタリーをいくつか観まして
戦争の真理云々をあーでもないこーでもないと考えていたので、
また再び深く頷いてしまいました。

ドキュメンタリーでは
テロの被害者の方の親御さんが、
仕掛けた奴を許すことはできない。積み上げられた死体を見たいんです。
と言っていたり、
救助活動をした若い消防士さんが、
今命令を受ければ今すぐにでも犯人を殺しに行く。
と発言していて、
本当に考え込んでしまいました。

その真理が次の攻撃を生むと思いつつ、
彼等の苦しみが私にわかるわけもないんですよね…。

一方、テロでお父さんを亡くされた青年が、
イラク攻撃を強く反対していたという話も知って、
少し希望を感じました。
(右よりのTV司会者にめちゃめちゃ攻撃されていましたけどね…。)





by お鈴 (2010-05-26 00:53) 

お鈴


古傷は消えなければならない、というのは本当に同感です。
日本らしい、『水に流そう』みたいな考え方ってやっぱり必要だよね。
って、上の(↑)友人とも話しまして、
まぁその姿勢が批判されたりもしますけど、
最終的には水に流して、傷は癒されなくちゃ生きて行けませんもんね。


長崎にはほんのちいさいころにしか行ったことがないのですが、
原爆の惨劇を思わせるものを目立つように置いてないのですね。
広島といえばご存じのように原爆ドームが街中で目立ってます。。
でも、その周りの平和公園とかは明るい雰囲気で、
住んでいる人は原爆ドームも、意識して観なければ
背景にひとつになっている感覚です…。


ただ、以前韓国に行ったときに、
日本人が韓国人を支配して、不当に逮捕したり死刑にしていた
その歴史を伝えている博物館に行ったんです。
それは本当にすごくって…、
(広島の原爆資料館も子供にはキツいですが、それどころではないんです。)
実際に使われていた牢屋に、蝋人形が入ってって、
食べ物を拒否していたり、日本人に拷問を受けているんですね。
実際使われていた死刑場も残っていました…。
(帰りのバスで私たち日本人はもうどんより…)

でもそれで、韓国の人たちが、日本の教科書に怒っていたのも
分かるようになったんです。。

だから資料として残すももある程度必要なのかなぁとも思います…。
(アウシュビッツとかもそうですかね。)


生きる為には健康に忘れて行かなくてはいけない。
でもときどき思い出す為に歴史資料が保存されているのがベストバランスなんでしょうかね。




by お鈴 (2010-05-26 01:16) 

お鈴

めちゃくちゃ長くなってしまってごめんなさい^^:汗
あとちょっとです。笑

広島だからこそなんだとおもうんですけど、
広島では小学校からずっと、被爆者の方のはなしを聴くとか、
資料をみにいくとか、平和学習なるものが熱心にされていたんです。

で、やっぱりそうなると
“どれだけ酷いことをされたか”になってしまうんですよね。
どれだけ破壊されて、どれだけ苦しんだか。
それはあたりまえのことなんですけど、
そのインパクトに対して“これからはなにをどうすればいいのか”
があまり語られていなかったように思います。
“ノーモアヒロシマ”とか“核はダメ” “戦争はダメ” くらいで…

語り部さんが高齢になってきて、
忘れ去られて行くのかという恐怖や焦りみたいなものも感じられました。

もちろん、どれだけ残酷だったのかは忘れられるべきじゃないんですが、
高校で語り部さんの体験を聴いていた時に、
友人があまりの生々しい話に体調をわるくしてしまったんです。

あの時に、これは果たして生産性があるのかなぁと。思いました。


で、こんなに長々と話して(ごめんなさい^^:苦笑)
結局思うのは、

やっぱり、『ハウルの動く城』は傑作だったということです。
これまで観た反戦を訴える映像の中で個人的にはいちばん好きです。


ハウルはやっぱり日本のように見えて、
恨みとか義侠心の間で翻弄されているんだと思うんですよね。
そこに、女のいい意味でのシンプルさというか、
家を守る力、誰かを許す力、
外ではいろいろ起こってる、でもとりあえず部屋の掃除するわ。
みたいな精神が、世界を変えて行く…。


これからの反戦教育はそうゆうものであるべきだ。
と強く思いました。



by お鈴 (2010-05-26 01:34) 

シロタ


お鈴ちゃん、コメントありがとう!
いっぱい書いてくれて嬉しいです。長文歓迎。

吉田健一の言葉、いいですよね。わたしも痺れましたよ。
「長崎」でもわかるように、吉田健一は広島のドームについても取り壊すべきだと言ってました。
たまに訪れるならともかく、実際に暮らす街にそういう負の遺跡があるのはしんどいこともあるのかなー、と思ったりもします。

>米国同時テロ
仕返ししても、亡くなった方は帰ってこないんです。
でも、許すことも忘れることも出来ない。
それは、正義が損なわれた事に対する怒りなんだと思うんです。

戦争を抑止する方法として、わたしは最近、国際法や国際法廷に関心を持ってます。
「カルラのリスト」ていうドキュメンタリー映画で国際法廷の検事がスレブレニツァの住民虐殺犯人を告発する様が描かれています。
http://kiwamono.blog.so-net.ne.jp/2008-10-24
遺族は憤怒とか復讐の気持ちが抑え難くあるんだけれど、それを法や検事に託す。被害者の願いというのは正義の回復であって、復讐ではないんだと思う。
だから、法に依って裁かれることで、気持ちに(ある程度)決着をつけることができないだろうか、と。

ちなみにアメリカは国際司法裁判所でニカラグアに敗訴(1986年)。けれども判決に従ってません。

>『水に流そう』
これね、「なかったことにしよう、忘れよう」って意味とは違うんだと思います。
過ぎたことは元には戻せないことだと受け容れよう、ていうような。
だから、水に流すためには、その出来事を「過ぎたこと」にしなくてはならなくって、それが非常に難しい。
広島や長崎の被爆者の方にとっては、いまだに「過ぎたこと」ではなくって、だから苦しむ。

歴史資料は「過ぎたこと」として残されることが肝要なんだと思います。かつて滅ぼされた人たちが居た、ということ。
基本、歴史は勝った人たちはつくってしまい、滅ぼした歴史を隠蔽しようとします。それをいかに公正に残すか、読むかってことかなあ。
コレは重要、コレは重要じゃない、ていう判断の入らない、一次資料(役所や軍隊の記録原本とかね)にあたることが重要なのはそのためなんですね。


>韓国独立記念感
えーとねえ、そういう、ジオラマ的な見せ方をする資料館は、政治的なプロパガンダの性格が強いと思う。(蝋人形…ちっとあざと過ぎる気がス…)
今ひとつ信頼性に欠ける気はしますが、それをつくった人たちの情念は強烈に感じます。


>「ハウルの動く城」
お鈴ちゃんのレビューに気づかされたことに多大なものがあります。
戦争に反対するというより、戦争から逃げる、関わりを断つ、戦争という文脈から外れようとする力の向きが描かれていたのかなー、と。

反対しようとすると、その反対する力がねじれてまた争いに繋がっていったりしちゃうじゃないですか。
戦争の恐ろしい話を聞いて、逆に、そんな恐ろしい敵から身を守るために戦おう!みたいな。

ソフィは「ハウルは弱虫だからいいの!」って言っちゃうところ、あれが重要なんですね。
反戦というより、無戦ていう感じかな。戦争の無意味化、無化。

ていうかねー、反戦平和=怖い話を聞かされる、で嫌になっちゃったりはします、ホント。
先日のルノアールの言葉もそうだけど、厭なものを見聞きしたくない、そういう感覚で反戦平和に繋がっていかなくてはならないと思います。


重要な提起、感謝です。
いつもありがとう。


by シロタ (2010-05-26 11:46) 

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