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ちょっと前と、最近観たあれこれ [映画]

最近、ガーッと観たり読んだり聴いたりなインプットな気分が盛んであるのだが、そうすっと書いたり話したり描いたりなアウトプットが少しく起動しないというか、なんか今いちバシッと書けない。脳のメモリを食われてるというか、アウトプットのデヴァイスドライバの反応が鈍い気がすんのね、なんとなく。

だったら別に書かんでもよさそうなのだけど、なんだろな「ネタが溜まってる感」みたいなんもあって、とりあえずアウトしたい。
ので、こないだの最近観たあれこれ記事とかアンドリュー・ニコル記事ゼロ年代的映画記事なんかも含め、羅列でだらーっと書いてますのですが、いずれも気に入ったり、良きにつけ悪しきにつけひっかかるものがあったり、何ごとか記しておきたくなった映画であります。
映画一作につき記事一本にバシッとまとめる形式の記事と比べると扱いが軽くみえてアレなんだけど、単にシロタに書く体力がないだけで映画そのものはすっごくイイのですますござる。
いずれガシッと書く気分になるかもしれないけど、とりあえず印象の薄れないうちにだらだら書きで。


「セントラル・ステーション」
主人公のおばさんに尽きる。ふてぶてしいんだけど素直にかわいらしいとこもあり、イイ人過ぎず悪い人過ぎないところがとてもよい。子どもとのやりとりが微笑ましい。いいコンビ。ブラジルの空気がなんか不思議にたるーっと気持ちよい。子どもの兄弟らの住まいの、同じ建物がずらーっと並ぶ住宅地はすげえシュール。おもしろかった。いいもん観れた。


「ロスト・イン・ラ・マンチャ」
映画の製作が頓挫した顛末の、ホントに頓挫してる様に驚き呆れ気の毒。テリー・ギリアムの構想や主人公の役者はイイ感じですごくおもしろそうだったんだけど、残念気の毒至極。例えヘボい映画であっても完成させ得るってだけで大変な仕事なのであるなー、とは思った。
それにしても、フランス人(だったっけ?)のプロデューサーがアヤしいと思った。あいつ仕事できなさそう。


「自転車泥棒」
ものすごく滅入った。しみったれ感満載っていうか、どうにもこうにも立ち行かぬ感じ、どん詰まりの社会の行き詰まり感がメッコメコにクる。父ちゃんの奮闘努力がことごとく無駄に裏目に出まくるのがつらくって堪らぬ。ところどころはユーモラスで微笑ましい場面はあるものの、二度と観ない。素晴らしくよく出来てるが故に二度と観たくない。


「グッバイ、レーニン!」
地味目に傑物かと。キョトンな母ちゃんが実は気づいてんじゃないのかと思ったりもした。息子の努力が可笑しいんだけどしみじみせつない。
“壁”の崩壊はTVで観てた。単純に熱狂し、大変よきことと思った覚えがある。ホント単純に、これからなにもかもどんどんよくなる、と思えた。てなことを思い出したりした。


「がんばっていきまっしょい」
赤いオールが水を掻く、ただそれだけの画が胸にぐっとクる。なんかこう、切なさとか愛おしさみたいなものがこみ上げてくる感じでイイ。泣くのを我慢する感じの、喉がつまるような、あの感じ。
田中麗奈のきゅっと濃い眉が凛々しくて、仏頂面がすごくイイ。一生懸命なコって、ああ​いう顔してる。へらへら笑わない。
芝居が巧いとかじゃないんだけど、ぶっきらぼうで朴訥な風情が風景と相まって、よい映画でございました。音楽、主題歌もすごくよかった。


「アカルイミライ」
「トウキョウソナタ」の勤め人オヤジの扱いがムカついてしょうがなかったんだけど、あれはムカつかせるように出来てたんだなーということがコレ観てわかったような気がする。わざと極端に様式化というかカリカチュアライズされてて、勤め人を舐めんな、とか、あんなハロワはナイ、とかっていちいちムカついてたんだけど、「アカルイ…」の場合はギリギリな若者の扱いが極端なんだと思う。だから若者はムカついたりするかも。噛み合わない笹野高史とか即物な加瀬亮とかも、ビミョーにいたたまれない空気感が絶妙過ぎる。
あと、画ヅラはローキーだと思ってたけど逆だった。ハイキーだねコレ。わざと暗部を潰してて、屋上で電話する浅野忠信の画とか、異世界感がただならぬ感じでイイ。いちいち“ただならぬ”勿体感がキいてる。コレ好き。


「プライベート・ライアン」
長いくせに長さを感じない、引き込まれて観ちった。ライアン二等兵を探しに行く云々なお話はどうでもよくって、撃って撃たれて撃たれて撃たれて撃たれて腕や足がもげたり内臓がこぼれたり人間が物体になってぼろぼろ転がり、とにかく銃弾がだばだば行き交い、爆弾がごんごん炸裂し、戦闘の物量感が堪らん感じでクる。墓で「大尉…」とかって回想するライアンくんとかかなりめにどーでもよかった。ただただ撃って撃って撃たれる映画。


「オーケストラ!」
あれこれユルいとこもありつつ、最後の演奏のとこがよろしくてねえ。あっ、この音!って気づく、演奏で通じ合う感じがよろしいです。
30年ぶりでリハーサルなしでそんなうまくいく訳なかろうよ、とか思うんだけど、やっぱここはうまくいかんと話がおさまらんでしょう的お約束な大団円が気持ちよくって笑う。はははは。


「市民ケーン」
ORLIN(お鈴)ちゃんのレビューyadonisiさんのレビューに尽きる。
ケーンの生涯をインタビューによって辿りつつ、最後のrose budの意味がわかったときに、ケーンの人物像が一気に(ホントに一気にクる。ああそうだったのかー、って)深まり、なんともいえない感慨が沁みてくる。生涯、誰にも知られることなかったのだよなーとか思うと余計に沁みる。
画ヅラもカッコいい。


「第9地区」
グロ残虐耐性13歳くらいの夫に「エビ似の宇宙人が南アで難民になって困る話なんだってー」と軽めに告げて連れてって半泣きの目に遭わせてみた。ごめん夫。
うん、思ってたよりもグロかったです。でもそのグロ残虐さがシャレにならない深刻なマジ加減なんだけど。
人種差別や難民問題のメタファーとか、政治情勢にあてはめてアレコレ思いめぐらせて考え込んだりもできるけど、別に深読みしなくってもフツーにエンタメ徹してておもしろがれる。
確かに「アバター」と筋立ておんなじだけど、ご都合主義な感じしなくってウマく回収されてますよな。








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コメント 5

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yadonisi

ご無沙汰です。いつも御引き立て頂きまして、ありがとうです( ´▽`)ノ
『市民ケーン』お気に召したでしょうか?
「噂では、何やらスゴイ作品らしいぞ」と身構えたり、
「ヤツ(O・ウェールズ)の才能を全部、堪能してやるぞ」と前のめりで凝視とか・・・
まぁ、こういう能動的鑑賞方法が好きな人は大いに楽しめるのだろうし、
受動的に鑑賞しても、安いお涙頂戴モノでは得難い感動がラストに込められている作品だと思うのです。

>生涯、誰にも知られることなかったのだよなーとか思うと余計に沁みる。
大いに同感です。
真相を知り、墓前に関係者一同が大集合で涙ながらに偲ぶ・・・
的なラストだと、何故だか分からないけど嫌だ(笑)


『自転車泥棒』の、「二度と観ない、観たくない」も同感です。
僕もこれ、高校生の時見たけど、同じ事を思ってそして、それ以来観てないっす(笑)
そういえば『鉄道員』も同じ理由で一度きりの鑑賞だぁ。。。


『第9地区』これねぇ・・・あんまり観たい気にならないのだけど、DVDでの鑑賞でも大丈夫でしょうか?
あ、それと・・・今、『メタボ戦隊アホレンジャー』を借りようとしているのですが、
ずっと貸し出し中。。。旦那さんにオススメできるかな・・・
って言うかもう、遅いかな(苦笑)
by yadonisi (2010-05-13 03:51) 

シロタ


yadonisiさん、いらっさいましー。コメントありがとう。
こちらこそ毎度お世話になっとります。

「市民ケーン」は、確かにエラソーな映画なので(笑)幾分か構えて観ちゃいましたが、映画もケーンもエラソーな分だけ逆にrose budな一面にじわっとキましたですね。
ああそうだったのかー、ていう感慨はケーンだけじゃなくって登場人物全員の生涯に及びます。2番目のヨメの気持ちとか、あんたそりゃ哀しいよなー。

「自転車泥棒」はねー。救いのないリアリズムってどうすりゃいいのよ、的に最悪です。ルノアールが「世の中には醜いものがいっぱいあるってのに、さらに醜いものを描いてどーする。自分は美しいものしか描かないぜ」てなことを言って、まったく同感なのですね。
もっとも、そういうものに救われる人もいるのだろうなーとも思うんですが、個人的には勘弁。

「第9地区」は思ってたより政治主張全面ではなくっておもちろかったですよ。DVDで観るのも、ドキュメンタリー風のマスメディアっぽさが強調されて楽しめるんじゃないかと。
「NINE」「第9」と観たんで「9」もいっとくか、と9モノをおさえようかと思う次第(笑)。


by シロタ (2010-05-13 09:57) 

お鈴

レビューへのリンク貼ってくださってありがとうございます^^
恐縮です。

この中では、『自転車泥棒』と『市民ケーン』だけわかります。笑
『自転車泥棒』は、
イタリア文化論とか言った名前で、
ただひたすらイタリア映画を見る授業をとっていまして、
そこで観ました。
いやーほんと救われないですよね。^^:苦笑
あの7号館の4階の一番大きい教室だったんですが、
終わり。と出た瞬間に教室中がざわめきました。笑
その前に観たのが、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で、
二本目がこれだったので、
「イタリア映画ってこんなにやってられない暗い話ばっかりなのか」
と思わされましたよ。笑
(しかしその後にいろんなトンデモイタリアンシネマを観せられたので、
 そのイメージは消えてくれました。笑)

『市民ケーン』、
この映画ってタイトルとパッケージの写真で損してる気がします。
(名作といわれているので損もなにもないかもしれないですけど。笑)
鑑賞前はみかけるたびに、退屈な(?)社会派ドラマなのだと思ってました。^^:笑

正直、中盤のケーンの人生を追ってるパートは部分的に退屈してしまったのですが、汗
あのラストは本当に素晴らしかったですね。。
あの場面で色んな感情が一気にかき回されるような感覚を覚えました。
『市民ケーン』と『サンセット大通り』と『情婦』のラストは
どれも思い出すだけで心が色んな感情でパンクしそうになります。
(私には形容できなくて…^^;)




by お鈴 (2010-05-18 21:40) 

お鈴

そしてルノワールの言葉素敵ですね…。

最近、もっと好き嫌いを超えていろんな絵画観て行きたいな、
観るべきなんだな。とより思うようになったのですが、
(知識がなさすぎまして…^^:汗)
負の感情をカタチにしたようなものもそれはそれで素晴らしくても、
やっぱ美しいものって、
作者が生きている中で
心から美しいと思って、感激した事柄を作品にしたものが、
一番力をもっているような気がします。
(美しさの優劣なんてひとによって変わるものだとは思いつつも…)

by お鈴 (2010-05-18 21:48) 

シロタ


お鈴ちゃん、こちらこそレビューを紹介させてもらってありがとう。
わたしがくだくだ言うよりもコレを読め!的にリンク貼っちゃいました(笑)。

「市民ケーン」はどうしても“市民権”を発想させられるんだよね(笑)。「シティズン・ケイン」とかだったらまた違ったかも。

ルノアールの言葉は正確にはココで↓
http://www.renoir2010.com/room_4.html
あ、今大阪でルノアール展やってんだね。

たぶんねえ、「醜い」っていうのは「見にくい」なんだと思います。見づらい。見たくない。
だからつまり負の表現は、人が避けて見ようとしないものを突きつけようとする。それはそれで意義深いのであろうけれど、しんどいよね。

人は美しいものが好きで、でもって、好きなものが美しいのかもしれないです。


by シロタ (2010-05-19 12:11) 

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