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「稲妻」 [映画]

去年の夏の課題。書いたの忘れてた。

成瀬巳喜男監督の映画は、正直苦手なんだけど、コレは好き。
夏の暑い時期に観るのがハマると思ってじっくり観たんだった。夕立とか雷がよく似合う。

高峰秀子.jpg


ひと言でいうなら、鮮やか。まさに雷光の一閃のような鮮烈な印象であることよ。

わたしの苦手とする、息苦しいほどに濃密な成瀬の気圧、じわじわと場を圧して逃げ場を奪い、ほとんど体感的に締め上げてくるような空気はいかんなく発揮されているのだけれど、その圧力は、緊張が頂点に達し、一瞬で散じる極点に向かっている。この瞬間、極点の冴え。
爽快でありながら、切り裂かれた空気の重さ、ふるった一閃の手応えが返り血のように滴り落ちる。そして、その余韻、気魄の名残をいとも軽やかに収束してみせる豪腕。
素晴らしいです。

高峰秀子演じる清子が実によい。凛々しくって、かわいらしい。
ヘチマ襟(ラウンドカラーかな?)で、ラグランスリーブ切り替えのとこにフラップがあしらってある半袖のシャツブラウスがすっごくよく似合っててイイ。↑のイラストで着てるやつね。あれ欲しいなあ。
オープンカラーの白いワンピースもイイ。光子姉ちゃんのカフェのシーンで着てるやつ。

ずるずるべったりな母ちゃん姉ちゃんに苛立ってて、ほとんど不機嫌に憤ってるんだけど、その不機嫌顔が瑞々しくって、応援したくなる感じ。
青い未熟果みたいな。硬くて青くて、だけど瑞々しい頑(かたくな)さ。
カフェで綱吉に迫られて「イヤ!」って拒むんだけど、そのときの表情がアップになるとこ、このときの顔が思わずハッとするほど美しいです。

なにしろ、清子の周囲の男どもの厭らしいこと情けないことといったら。
義兄・露平は初っ端に亡くなるものの、その妾が赤ん坊を抱えて金をせびりに現れるし、下卑た厭らしさを放つ綱吉の不誠実、南方ボケと称する実兄・嘉助のヘタレ、アヤしい投機話に入れ込む義兄・龍三のダメっぷり。
さらには、男たちにまつわる母や姉たちの苛立たしい浅はかさと愚鈍。
生臭く胡乱な気配を放ちながら、どんよりと澱のようにわだかまる親族。

象徴的な実家の画は、画面上部を占める重い天井が斜めに傾ぐように配され、ぎゅうぎゅうに家屋が詰まった細い路地のカットと相まって、ひどく息苦しい。
遠方に抜ける逃げがまったくない、近視眼的に目先のことしか頭にない母やきょうだいたちの視線。
有象無象がひしめきあう生臭い人間関係のただ中に、「しっかりしないと腐ってしまう」と、清子は言う。
そんな環境にあれば、頑に不機嫌であることも致し方ない、と思わせるかのような、徹底した閉塞がある。

しかし、たぶん清子の不機嫌はその環境ではないと思う。それは表層の理由に過ぎない。
清子のイライラ不機嫌台詞はこんな感じ。
「お母ちゃんやお姉ちゃんたち見てると、結婚なんて女がわざわざ不幸になるためみたい」
「つまんないな。女って」
「だから男ってイヤなんだ」

そもそも、「つまんないな。女って」と呟く心持ちとは、如何なるものか。
何故に女は不機嫌であるのか。
不機嫌の理由なら千も挙げられる。千の理由とは、つまり理由なぞないのも同じということです。
気に入らない。何もかもが気に入らない。

自分を受け容れて当然とばかりにせまる綱吉が気に入らないし、裏切られてもなお夫に尽くす次姉が気に入らないし、欲得尽くにみえて男にふりまわされている長姉が気に入らない。
父親の違う子を四人ももうけ、とっくに成人している兄を甘やかすばかりか娘婿の不始末まで面倒をみようとする母が気に入らない。
しまいには兄のすね毛まで気に入らない(この描写は可愛らしくって微笑ましい)。

しかし結局のところ、もっとも気に入らないのは、自分が女であることそのものであろうかと。
極端に言えば、女であることを呪ったことのない女は居ない。
生物個体として自己同一性を防衛する免疫機能に反し、異生物を受容して“孕む”性であるということ。
“自分ではないもの”を受け容れるつくりの性を持っていることの、根源的な、恐怖に近い感情。
そして、そこに誠実に真摯に向き合おうとすればするほど不機嫌になる。

それでも清子は、実家の美しい下宿人と「火のような恋愛をして、結婚する」なんていう話をしたりする。くすくす笑う様が他愛なく、かわいらしい。
母に稲妻の一閃を叩き付けた清子の昂りを鎮めたのは、隣家の青年が爪弾くピアノの旋律。
実は冒頭でも、いたわりあう老夫婦をみて「いいもんねェ、年寄り夫婦って」なんてなことを言ってたりするんだった。
端々にちょこちょこっと差し挟まれる肯定的な態度や情景が、爽やかな涼風が吹き込まれるようでほっとする。
沈殿する親族の生臭さ息苦しさが圧倒的なだけに、余計に鮮やかにキく。濁った水が澄んでゆくような晴れやかさ。コレが好き。

清子はいずれ、女の不機嫌を祓うことができ、きっと自らを心から讃えることができるようになる。
鮮やかで烈しい稲妻の一閃の直後に、そういう、自己肯定への予感を滲ませ、さらっと閉めるラストシーン。
美事過ぎです。






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