SSブログ

「子どもの貧困」阿部彩 [書籍]

ちょっと前の記事なんだけども、以下の記事をきっかけに読んでみたのでした。

「I'll be here−社労士 李怜香(いー・よんひゃん)の多事多端な日常」:「自己責任教の影-『子供の貧困』」


厚生労働省の国民生活基礎調査や、経済協力開発機構(OECD)の統計調査などの数値をもとに、日本の子どもの貧困の状態が分析される。
指摘される問題点としては、貧困は連鎖する傾向があること、政府の対策が機能していないこと、母子世帯が突出してハンパなく困窮していること、世論として最低限子どもが保障されるべきと考えられている物品や生活レベルがえらく低いこと、などがグラフや表に挙げて示されている。


上記のブログ記事でも触れられているけど、やっぱりびっくりするのはコレ。

貧困率.jpg
図3-4は、先進諸国に置ける子どもの貧困率を、「市場所得」(就労や、金融資産によって得られる所得)と、それから税金と社会保険料を引き、児童手当や年金などの社会保障給付を足した「可処分所得」でみたものである。税制度や社会保障制度を、政府による「所得再分配」と言うので、これらを「再分配前所得/再分配後所得」とすると、よりわかりやすくなるかもしれない。再分配前所得に置ける貧困率と再分配後の貧困率の差が、政府による「貧困削減」の効果を表す。(p.95~96)

日本だけ、再分配後のほうが貧困率が増してるっていう。
政府の施策によって、そもそもあんまし困ってなかった人まで貧困に至り、困窮してる人がより厳しく困窮するっていう無茶苦茶。


母子世帯の困窮について割かれた章はツラい。
雇用情勢の悪化、特に女性の就労の厳しさをモロにくらって、とにかく経済的自立が困難。
’93年から’06年にかけての就労状況のグラフを見ても、常用雇用が減って臨時・パート、派遣、不就業が目に見えて増えてて、収入も減ってる。
で、無理してパートやバイト複数かけもちで働いて健康を害したり、そうすっと働けなくなってさらに困窮極まる。
この章では、母子家庭の母親を対象とするアンケート調査の自由記述欄の回答がいくつか紹介されていて、その困窮具合、先行きの見えない不安が伝わってきて、読んでてしんどい。


p.186~187の、“子どもに関する社会的必需品”の表も、なんだかなあ。
「朝ごはん」「(希望すれば)高校・専門学校までの教育」など、物品や経験の項目が26あって、それぞれについて、「与えられるべき」「与えられたほうが望ましいが、家の事情(金銭的など)で与えられなくてもしかたがない」「与えられなくてもよい」「わからない」の選択肢で回答するアンケート。これによって最低限こんくらいは与えられるべき、と考えられる“こんくらい”の支持率が顕われる。
で、その“こんくらい”のレベルが日本はイギリスと比べて厳しめなのだけど、何よりわたしが感じる“こんくらい”から見て、冷てえなあ、と思った次第。
そのへんは人それぞれで感覚が違うものではあるだろうけど、大抵の親は、子どもに美味いもの食わしてやりたい、とか、存分に勉強させてやりたい、やりたいことをやらせてやりたいと思ってて、で、もしそれが親の事情で与えてやれなかったとしたら非常につらい思いをする訳でしょう。
「与えられなくてもしかたがない」っていう項目は、そういうつらさのパーセンテージだったりもする訳じゃないすか。
ていうか親でなくっても、すべての子どもに「病院に行く」「歯医者に行く」くらい与えられるべきじゃね?と思うんだけど「与えられなくてもしかたがない」が11パーセントにも至ったり、「学校給食」が「与えられなくてもしかたがない」16パーセントだったりっていう数値に、冷たいよなあ、と感じる訳なのです。わたしは。
つかさあ、「誕生日のお祝い」とか「お古でない靴」くらい与えられてもよくね?


この書籍では子どもの貧困をとりあげているけれども、著者は子ども以外の貧困(例えば高齢者やホームレスや若年層の不安定雇用)に関しても深刻な問題ととらえている。
そんな中で、敢えて子どもの貧困に焦点を絞って問題提起する意図としては、貧困対策を提唱する際に常に生じる「自己責任論」との緊張が、子どもの貧困に特化すれば、それほど強く生じないからである。(p.247)と、あとがきで述べられている。

つまり、貧困問題はそれっくらい「自己責任」で片付けられることが多いってことなんだろう。

この書籍を読む前から、日本は弱者にひどく冷たい社会なんじゃないのかなあ、と感じることがままあった訳なのだが、読後はさらにつくづくと強く感じる。
弱者、とか言うとそれだけで、努力せずに文句ばっかり言う輩、被害者ぶってる的な捉えがなされたりとか。
そんな空気のなかでは、援助を訴えることも躊躇わされる。
個人の努力では如何ともしがたいことはいくらもあって、いつ自分が同様の状況に陥るかもわからないってことに、想像が及ばないんだろうか。

わたしはそれがすごく怖い。
最近は、おろし金でごーりごーり削られる痛みのように感じられたりするほどに。






コメント(2)  トラックバック(0) 

コメント 2

コメントの受付は締め切りました
jyamutomaruko

そうだ、そうだ、まさしく。
日本という国は弱者に冷たく、間違った平等主義がまかり通っている。
想像力の貧困だと思う。

先週も子供を抱えて離婚した友人と話をしたが、正規雇用の仕事はほとんどない状態、高学歴であっても、レールから外れた人間は非情に生き辛い。

企業に安い労働力を提供するために弱者を利用する、それが日本の政治のやっている確信犯的行為だと私は思っています。
by jyamutomaruko (2010-08-25 19:02) 

シロタ


じゃむとまるこさん、コメントありがとう。

子どもや要介護者など、扶養者を抱える人ほど安定した仕事が必要なのに、そういう人ほど働きづらい。
なんかおかしいです。

前職でも、育児時短で帰宅する人を揶揄するような人が居たり、看護介護休暇を取得した人が嫌がらせの人事をされたりしてました。
(それでも、そういった休暇制度があるだけマシなほうだったんですが、それをマシと言わねばならない状況が情けないですね)

なんだろう、家庭の事情があって止むなく手当や制度を必要とする人・利用する人、自分より少しでも優遇される(ように見える)人を、ずるいとかセコいとか図々しいとか思うような心根・性根・心性が、日本社会全体に根強くあるように思います。
で、おっしゃるとおり、そういった心象が煽られて、政治利用されてる気がします。


by シロタ (2010-08-26 15:37) 

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。