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「コクリコ坂から」 [映画]

※追記しました。


観た。観ましたぜ(何故か威張る)。

世間の評判では「耳をすませば」が好きな方なら気に入る、と聞き及んでおりましたが、うん、確かに若者達の瑞々しい青春群像、胸にきゅんとくるピュアな恋愛、とか、そんな感じのお話でした。

ジブリ自慢のゴハンとか日常の細々した所作の描写、横浜の風景や街並みや海に臨む景観、市井の人々の生き生きした暮らしぶり、ヲタ的こだわりの船舶などなど、ジブリな見どころ満載、安定した質の高さ。
カルチェラタンの魔窟っぷり、お掃除(宮崎駿アニメってよくお掃除出てくるよね)も楽しい。

音楽のつかい方もイイ。初っぱなのメトロノーム音からピアノのスタート、朝ご飯の歌のウキウキしたスタートにはぐいっと引き込まれる。ピアノ楽しい。
手蔦葵の歌。この人の歌唱は凄いな。


しかし、でも、だけど。なんだろう。
観てる間、わたしは結構冷めておりましたです。あんましきゅーんてコなかった。
雫!聖司くん!のトキメキ感には遠いっつーか。

何故に海ちゃんが「君のおかげだ、メル!」とかって中心に据えられるのかがよくわからない。あんまりスター性を感じないつーか、よい子なんだけどよい子過ぎるつーか、地味でおとなしめな気がするのよな。何故か大人気。何故に大人気。
あ、メルというのは海の愛称であるらしい。たぶんフランス語由来の“la mer(ラ メール=海の意)”なんですかね。そういや関係ないけど中学の頃、「野(の)」って名字の子が居て、オブってあだ名で呼ばれてました。英語の前置詞“of”ね。すごいセンスだ(笑)。
風間くんは、まあフツーに素敵ですた。
…ヘンな言い方になったな。フツーに素敵。“みんなの憧れの素敵な先輩”ていう役を巧く演ってる、て感じ。

なんかね、海も風間くんも生徒会長も理事長閣下(閣下て。笑)も哲学部部長に至ってまでも、登場人物達にソツがないというか、役柄を巧く演じてる、デキが良過ぎる感じがしちゃったのね。
人物の揺らぎとかブレとか、呼吸を感じない、いやお話的にはぐらんぐらん揺れてるんだけど、その揺れさえ計算通り台本通り、みたいな。気のせいかな。

※1
でもって、そういう人物たちの“役柄演じてる感”によってなのか、なんかすごーく、'60年代オワコン感が漲ってる気がした。オワコン→終わったコンテンツ。
完全に過去った。
'60年代、戦後民主主義が最高潮に盛り上がった頃、なのかな。
それが葬られてる。

キザい生徒会長の芝居がかった身振りとか、ガリ版新聞の時代がかった言い回し、皆で肩組んで歌っちゃうフォークくささ、哲学部部長のアレな言動と魔窟カルチェラタンの楽園ぶり、反体制の身振りがカッコいいとされる空気(“エスケープ”がステキなことなのね)、そういう、'60代を象徴する事柄が、どこか滑稽で、遠おーい懐かし感、そんな時代もありましたねえ的に、終わった感漲って描写されてる。

過ぎた時代のことだからってオワコン描写以外に描き方がないのかっていうとそんなことはないはずで、たとえば現在でもインタネットの新たな結びつきによる民主化運動の可能性(ジャスミン革命とかね)とか、行動しよう!っぽい盛り上がりもあるわけだから、そこへ引き継ぐような、今こそ!この時代の精神を!みたいな描き方もできるんじゃないかと思うけど、そうはなってない。
コレ観て、団結だ!行動を起こそう!とかにはなんないと思う。いや別にならんでもよいのだけど。 ただ、ひたすら“懐かしい”に留まってる。

個人的にはちょっと羨ましいかな。
こんなに、自分の考えで行動するってこと(あーまあホントに自分の考えだったかどうなのかは微妙だけど、とりあえず自分の考えだと信じてたろうね)が称揚された時代だったんだなあ、とか、高度成長期まっさかりな将来展望を信じきってる明るさとか、若者の層の厚さ(今って本当に高齢化社会なんだなあ…。いや、わたしはコドモくさいの好きじゃないから老成した高齢化社会な雰囲気もけして嫌いではないが)、とか。

唐突に、団塊世代ぶっちぎりな親に言われたすっとことんまな台詞
「なんであんたは反抗期に反抗しなかったの?」
のあまりにもあまりな無邪気っぷりを思い起こす。はははは。
わたしは感受性の強い(自分で言う。威張)過剰適応気味のとてもよいコちゃんだったので、あとから無理がキちゃったことを指して言われた台詞ではあるが、そのように思っている団塊ズは少なからず居るんじゃないのか。
「どうして君たちは反抗しなかったの?」

それはねえ、反抗されてんのを無視して、なかったことにしちゃってるだけですよ。
校内暴力とか凄かったでしょーが。それをコドモのワガママとか不良の悪さとか親の躾の問題にして、無効化しちゃったでしょ。その後の不登校とか引きこもりは、そういう対話のなりたたなさによる絶望ってこともあんじゃないすか。
それにね、親世代の反抗する俺たちカコイイな風潮をなぞって反抗しちゃったら反抗にならないんですよ。つまり、「どうして反抗しないのか」なんてのは「どうして俺らの真似しないんだ、思い通りになんないんだ」って言ってるようなもんですよ。ふん。ばーかばーか。

あ、なんか話がズレた。
※2タイヘン甚だしく盛大に偏って、世代感覚に依った一面的な観方ですよ、と断っときますが、この映画は「ゲド戦記」に引き続き、宮崎吾郎の父殺し、父の属する時代殺し、なのじゃありませんかしら、という感想を持ちましたです。
さよなら、'60年代。ってことなんじゃないですかね。
そういや今晩、NHKで宮崎親子バトル特番やりますね。どうなのかなあ。はははは。

そんなわけで、自分の世代感覚に邪魔されて素直にお話に堪溺できませんでした。
我ながら邪道でつまらん観方だよ。

もっとお若い方が如何様にご覧になるかはまた違ってくるかと思いますわ。ちょこっと興味はある。
素直に風間くんカッコいい〜とか、好きな人とエスケープしたい!とか思えるのかな。
羨ましいかも。



ふん。ばーかばーか。


<追記>
'11.8.9にupした記事に追記したりあれこれ加えて更新。

なんか昨日書いたものの、ひと晩経ったら、あれえ?うーんなんか違うかも、と思い直して追記。
ていうか、Ouchだな。Ouch Ouch。イタタタって感じだ。
わたしはよっぽど’60〜'70年代('60sと'70sではまた結構違うらしいけど)に属する人とものごとが嫌いであるのだなー。
全然フツーに観れない、冷静に観れない。
なんかすごいいろいろ嫌なことをずるずる思い出したりして、痛痒い思いをした。←そこまで重症かよ

※1の文字色変えたとこ、アヤシい。以下、この文字色は妥当かどうかアヤしい部分です。
’60年代オワコン描写ってのは違うかも。ていうかもうとうに過ぎた時代のことなので、政治的な意図もなく屈託なく客観的に描ける、フツーに描かれてるのかもしれない。特に持ち上げるでもなく批判するでもなく、単に背景として。
それにしてもさあ、肩組んで熱唱とか、閣下! とか、サムくない? サムくないのかな。

なので、※2あたりもアヤしい。シロタの思い込みでありましょう。

あ、NHKの番組「ふたり」観ました。
別にそんなにバトってなかった。ものつくってたらフツーに起こる衝突なんだろうな、くらいの。

それはそれとして、海ちゃんがもっと暗いキャラだった、ってのは、へえー。て思った。そっかーそうなのかー。
だいぶ溌剌パキパキな明るい子に路線変更させたらしいけど、それでも地味だと思っちゃったなあ。

思うに、宮崎吾郎という人の感性とか演出というのは、叙事的なのかもしんないなー、とか思った。まず設定とか世界観をイメージしてんのかも。
「ゲド戦記」んときも、登場人物の気持ちとか動きとかより、物語全体にただよう薄暗い世界観、黄昏感が印象的だったのよな。
それはそれで活かして、人物より風景や事物・出来事に焦点が当たる映画ってのもあってもよさそうな気がする。アニメだからってなんでもキャラ萌えってことでもないだろうしなあ。




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