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「アギーレ〜神の怒り」「フィツカラルド」 [映画]

毎度ひいきの早稲田松竹にて二本立て。

この2本を続けて観られたのはよかった。
どっちも南米のジャングルが舞台でクラウス・キンスキーが主役なのが共通するだけでなく、テーマが近接してる感じ。
裏表つーか明暗ていうか、「アギーレ」→陰、「フィツカラルド」→陽、みたいな。


「アギーレ〜神の怒り」
大航海時代の南米が舞台。
初っぱなから、すんごい山道を甲冑姿のスペイン人+先住民族の奴隷がぞろぞろ行軍する。
ハンパない山道だし、ジャングルの樹木は豪快に繁茂してて盛大に歩きづらそうなのに、軍隊だけでなく、スペイン人が連れてきてる娘とか愛人とか、いかにも高貴な女性たちが場違いなドレス着て輿に乗っけられてえっちらおっちら運ばれてたりして、その場面がけっこう長々続く。
これだけでも、きみらアホですか、て言いたくなるけども、まあそれは現代から見ての感覚なのかもね。

しかし、道は険しいし川の水でビタビタだし食糧も尽きてきたしエルドラドは見つからねーし、で、別動隊を組織してエルドラド探してこい、ってその別動隊の副隊長がアギーレさん。

その後、川が荒れたり先住民族に襲われたり食い物も乏しく、どんどん状況は厳しくなるにつけ、アギーレがおかしくなってくる。
いきなり隊長にぶっ放し謀反り、スペインから離脱してエルドラド新帝国つくっちゃうぜとか言い出して大暴走。

上述の、きみらアホですか、な感じが、どんどこ増大してく。
現代人から見て当時の人たちの習慣とかがヘンに感じる、ていうのではなく、明らかに、エルドラドとかそんなもんオマエの脳内にしかねーわ目ぇ醒ませやあんたアホですか、的なヘンさ・狂ってる感。

特に、アギーレ(クラウス・キンスキー)の顔、薄い目の色とかパーツのデカい顔立ちとかが迫力で、イッちゃってヤバい人全開な表情がすごい。

でもってしまいには、森ん中から姿の見えない先住民の毒矢がひゅんひゅん飛んできてざくざくヤられ、熱病が発生し皆さん息絶え絶え、アギーレの娘もざくっとヤられ、アギーレだけがしょぼい筏の上で俺は怒る神だ、と猛る。 なんでかいきなりリスザル大量発生してみたり。実は死んでんのに気づいてないアギーレ、とかそういうふうにも見えた。

すごい迷惑で凶暴なアホの話。



「フィツカラルド」
こっちも盛大な“あんたアホですか”な映画。
ただ、「アギーレ」の“あんたアホですか”が、ヤバい人に対する恐怖・忌避だとしたら、「フィツカラルド」のそれは愛すべき変人に対する好意・称賛みたいな感じ。

19世紀半ばくらいかな、南米の植民地の話。
フィツカラルドはオペラ狂いで、いずれ金持ちになって開拓地にオペラハウスをつくるぜ、ていうドリーム全開な山師。
デカい商売に手を出すも失敗して破産したりしてて、周囲はハイハイワロスワロスでスルー気味。

フィツカラルドは愛人に金借りて船を買い、天然ゴムで一発当てようと、それまで条件が悪くて誰も手を出さなかった土地に向かう。
で、生産したゴムを運搬するために? 越えたとこでゴム生産するために?(このへんちょっとよくわかんなかった)、船を引っ張りあげて山を越える、ていうトンデモな難事業に挑む。
言葉や文化習慣が違っててよくわかんない先住民たちがよくわかんないけどなんか理由があるらしく手を貸してくれて、木を斬って山を崩して滑車で引いて船が山登り。

船って、ヨットとか小型クルーザーみたいなんじゃなく、全長30mくらい(もっと?)はあんのかなあ、フツーにデカいのな。
そんな船が斜めに傾いてじわじわ上がってくる with 船のてっぺんに据えた蓄音機からオペラ大絶唱ていう、むちゃくちゃな画ヅラ。
本当に本気で木斬ってダイナマイトで砕破して、人力でロープをぐりぐり引いて引き上げちゃうんすよ。この場面はドキュメンタリみたいなリアル感。

手を貸してくれる先住民sが徹底して他者で、まるで訳がわからない。
何いってるかわからないし、どういう反応をするかまるでわからない。怒ってんだか納得してんだかもわからない。
急に居なくなってみたりまた戻ってきたり、まる二日も川を見つめ続けてみたり、普段赤く塗っている化粧を黒い戦化粧にしたり。
で、そのことについていっこも説明なし。わかんないまんま。
そういう感じ、すんごくおもしろかった。

どうにかこうにか山越え敢行、大金持確定かと思われたときに、先住民sにより船は急流に突っ込んで損傷。商売は失敗。

フィツカラルドはなけなしの金はたいて、オペラ歌手&演奏者を都市から呼ぶ。
損傷して傾いた船の上でのオペラ(「清教徒」ていう演目らしい)、ボロボロのスーツの上から燕尾服ひっかけて上等の葉巻ふかしつつ佇むフィツカラルド。
この場面がクる。ジーンと胸アツ。

フィツカラルドは赤い天鵞絨張りの椅子を注文したんだけど、それが豚のため、ってのがくだらなくってイイ。成し遂げたことが立派じゃないとこが偉い。
キーキー鳴くちっさい黒豚が天鵞絨の椅子にちまっと収まって仰々しいオペラを聴く、ていう画ヅラを想像するだけでアホ楽しい。

なんてラブリーなアホであることか(詠嘆)



というわけで、
傍迷惑で凶暴で最悪迷惑なヤバさ極まるアホの話→「アギーレ〜神の怒り」
と、
傍迷惑で最悪迷惑なんだけどなんか憎めないアホの話→「フィツカラルド」
でした。
けっこう紙一重なんだけどね。その紙一重の差がデカいんだろうなー。







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「TIME」 [映画]

「TIME」公式webサイト(予告篇が始まります)


すっごい張り切って観に行ったものの、なんつーか、うーん……ザツな映画だった。
世界設定だけで力尽きたのかなー、とかそういう感じのへっぽこ加減。

画ヅラ的には、おおニコルニコル、と喜べたりもした。黄色みがかった調色とか埃っぽい空気感とか建物の扱いとかスタイリッシュな衣装とか車とか。
冒頭の、皮膚大写しからズームアウトしてくとことか、主人公二人が海で泳ぐとこなんかはおおガタカガタカ、って喜ぶ。


時間=通貨っていう設定は、現実に労働を時給換算したり、数値に換算できないような個人の生活や命や尊厳までもが数値にされて資本に取り込まれる現代社会を、よりエグく描写して風刺するのですよねー、と思ってたんだけど、なんかその風刺があまりキまらず、ヌルく仕上がってる。

なんかねえ、
(1)人間が数値化されること
(2)貧富の格差が固定される搾取構造
っていうふたつのテーマがごっちゃになってる気がすんのね。
どっちも深く関係する事柄なんだろうけど、モンダイとしては別々に考えるべきなんじゃないのかな。

で、わたしとしてはぜひに(1)に迫ってほしかったです。
人間の数値化は数値化ってだけでもヤな話だけども、数値の多寡による分断を起こし、また、数値が大きい側の人間でさえ幸福にしない。
しかも、ここで換算されるのは時間=命という数値である残酷。

序盤で、長時間持ち(大金持ち)が、「長生きして体は頑健でも心が磨耗する、俺は死にたい」ていう場面はすごくイイ。
富豪のお嬢さまシルビアの倦怠と憂鬱加減もイイ。
死ぬことができないということは、生きていることも感じられない。


そこへもって(2)に憤る主人公が富裕層の居住地域に乗り込んで搾取された時間を取り戻すんだぜ、ってテーマがズレる。
資本の流動を恐れるシルビアパパとか時間管理局の仕事人間レイモンド・レオンさんがもきもきわたわたする。

この、職務に忠実すぎるレオンさんが個人的にツボ。
搾取構造を熟知していながら、その構造を守る、ていう任務に人生捧げてて、たとえ富豪の娘であろうともその構造を壊そうとするものはユルさん、ていう融通のキかなさ、意固地なほどのクソ真面目さにキュン(はあと)。
要するに搾取社会の奴隷頭みたいなもんなんだけど、それをイヤと言うほど自覚してるとこが萌えポイント。
富豪パパに、おれに買えないもんはないんだぜいくら欲しい? とか言われ、いくらあっても足りません、て買収を拒否る、ああいうこじれたとこが好き。


まーそいで、主人公ズが(2)を銀行強盗→貧困層へ分配、で解決しようとする単細胞っぷりがなんかすげえ。
と、思ってたらまさかのラストが単細胞チカラワザの規模をデカくしてみました、だったのでシートからずり落ちそうになった。まじか。ヒドいな。
ヒドいとこ→「何者によって、何故、そういう体内時計が遺伝子に組み込まれてんのか」ていうナゾが解決されないまま、つまり人間の数値化は根本的に変わんないまま終わる。
(2)が解決すれば(1)はまんまでもいいんすか。駄目じゃね?

しかも、「人は不死になるべきではない」とか、いつそんなテーマが出てきたんすか、ていうそんな唐突な台詞でキメられてもいったいどうすれば。

そこは体内時計を破壊する方法を見つけたりするべきじゃないのかなー。
金持ちも貧乏人も誰でもが、限られた自分の時間、自分だけの命を全うして生きるためには、そのちかちかする数字自体をどうにかしなきゃ駄目でしょ。
人間は数値じゃない、って言って欲しかった。


まー他にもいろいろとツッコミどころ満載なんだけど、そう退屈することもなく観れたことは観れた←監督への贔屓目がふんだんに含まれています。

でもひょっとしてそもそもアンドリュー・ニコル映画って結構ツメが甘いのかも。
「トゥルーマン・ショウ」にしても「シモーヌ」にしても「ガタカ」でさえも、もうちょい、なとこあるもんなー、などと考え込んでしまった。

いやアレだ実は富裕層とか資本家とか某国の独裁政権政府とか○○の陰謀によって「そこは描いてくれるなやめとけ触れるな」ていう圧力があったんだよニコルだって描きたかったんだよツラいんだよ←すいません本気じゃないですw、単に監督への贔屓目ですww






タグ:Time 映画
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「ハッピーフライト」 [映画]

わーコレ映画館で観ればよかった。楽しーい!
冒頭の保安ビデオからして、さあこれからフライト気分で楽しんでね♪てことだよね。映画館のシートにどっさり並んで座って飛行機気分出して観たい。(けどさすがに飛行機内では観たくないwやりすぎだww)


専門用語がべらべら出てくる濃ゆい詳細さ。
今度飛行機乗ったときにギャレイとかコーパイとかピトー管がどうこうとかムヤミに言いたい。ギャラップ!て言いたい。
こーいう膨大な業界専門知識の裏打ちをキかす感じには川原泉の漫画を彷彿とする。「空の食欲魔人」とか「カレーの王子さま」とかさ。

で、そのように詳しくお仕事する皆さんの姿がおもしろ楽しい。
綾瀬はるかはピカピカにキュートかつ健気でありながら可愛いだけでなくやっぱりプロだし(緊急着陸時、高校生にニッコリしてみせたあの笑顔の曇りなさにはグッとキた)、調子コキのヘタレかと思われた田辺誠一副機長もやるときゃやるのだぜ、だし、田畑智子の走りっぷりには惚れ惚れするし、時任機長や寺島しのぶや田山涼成や岸辺一徳の、いざってときの頼もしさカッコよさは異常。
管制や整備の人々の職業病スレスレの職人気質も渋くて痺れる。
どなたもこなたも、賢明に仕事に励む様がすがすがしい。
職員だけじゃなくって、利用客や飛行機オタや、誰も彼もが印象に残る。

なにより、みんなプロフェッショナルとして仕事に邁進してる様が快い。
みんな一生懸命で、その一生懸命の方向が間違ってないつうか、目的を誤ってない。
目的ってのは利用客の安全と快適、っていう、まあフツーのことなんだけど、そのフツーがすごい。

実際のとこ、航空会社に限らず企業組織で働くと、仕事以外のことで煩わされたりするじゃん。
派閥がどうとか人間関係がこじれてみたり、いじめやパワハラやらの陰湿な事態には仕事どころじゃなくなりそうだし。
まっとうな仕事のレベルで苦労させてくれよ、と思ったことのない人ってそうそう居ないのじゃないかしら。
実際の航空会社の内情はこんなもんじゃないのかもしれないけど、だからこそ、まともに仕事してる人を見るのはとても気持ちがいい。


その描かれ方も、過剰に深刻で悲壮な努力根性っぷりじゃなくって、あくまでも明るく軽いのがスゴい。上述の川原泉的詳細な仕事内容とか、それぞれの部署の性格や人間関係など、情報量がぎっちり詰まってんのに、すごくスムーズに情報整理されてて、説明っぽさやぎこちなさがなく、どこまでも朗らかに明るく軽妙。
上等なコンソメスープみたいな。それぞれの素材のダシはしっかり出てるのに重くなくって、軽やかにひとつの味になってて、しかも後味すっきり、いくらでも飽きずに味わえる感じの。
軽い描写って実は難しいと思うんだよね。ケーハクに受けとられたりしそうだし、重厚にものものしく勿体ぶる方がエラそーに威嚇できるじゃん。


んで、「ウォーターボーイズ」といい「スウィングガールズ」といい、この監督の描く“努力”とか“一生懸命”って、高い倫理感を感じるっていうか、筋が通ってて、まっとうで正しい感じがする。

熱中してなにかに打ち込むこと。
努力しても結果が伴わないかもしれないけど、結果がどうとかより、それでもやらずにいられない気持ち。
努力できる自分が喜ばしいこと。できる限りを尽くせた自分が誇らしいこと。

もちろん結果がどうでもいい訳じゃない。結果出すことを目的として目指してるんだし。
「ウォーター…」「スウィング…」は、学生の文化活動だったから、たとえ結果出せなくても悔しいだけで済むけど、「ハッピーフライト」はそうはいかない。
結果出して当たり前の、プロの世界。安全で当たり前、快適で当然。
でも、その当たり前で当然のことが、こんなにおもしろくてカッコよくて、地味でしんどくてつらくって、でもやっぱり楽しい!ってのがホカホカした温度で伝わってきて、マジでハートウォーム。


「ロボジー」まだ観れてない。観たいなあ。



 


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年末年始に観たあれこれ [映画]

年末年始にTVでやってた映画いくつか。
作業しながら、たらたら ながら観 しちゃったやつもある。
録画したもののまだ観てないのもあるな。

最近映画館で映画観てないなあ。一番直近で観たのは、タルコフスキー「鏡」@早稲田松竹、あいにくの寝オチ。
今んとこ楽しみなのは2月の「TIME」、待望のアンドリュー・ニコル新作。



「ギター弾きの恋」
TOKYO MX TVで日曜の昼間にシアター092って枠があって、そこでぶっつづけCMなし・洋画の場合は字幕、で映画やってんのがすごくよい。今までにも溝口健二特集とかヌーベルバーグ特集とか、古めのやつとかもがっつりやってくれたりして大変重宝。たまに電波状況がよくなくて録り逃がすんだけど。ちなみに今月は京マチ子特集ですって。

で、ウディ・アレン特集やってたとき録画しといたやつ。
音楽がすっごいよかった。
お話も、割に主人公との距離が近過ぎないつーか、冷めて放っといてる感じが好感。
それでいてあぶなっかしーなーあいつはまったくよー的な、見守るような感じもあって、その距離感のセンスが好き。憎めないなー。
で、とにかく音楽。音楽すばらしい。



「しゃべれどもしゃべれども」
へー。あんまし期待せずに観たんだけど、悪くないかも。説明し過ぎない感じが好感。
香里奈の仏頂面がイイ。「もっと○○なら愛されるのに(失礼な言いぐさだ)」、とかそういう抑圧に全身で苛立ってる感じ。ていうかどんだけ仏頂面娘が好きなのかわたしはw
子役の子の関西弁が気持ちいい。音程とかリズムとか、ころっころ転がる感じ。
元野球選手のおっさんがふっきれて毒舌ズバズバ系野球解説員として人気を博す、とかいう展開を期待したのに当てが外れて残念。
主人公はかなりめにどーでもよかった。主人公なのに。



「ゴースト もう一度抱きしめたい」
え、いんじゃないのこれ。
つか、煮しめの仕込みしながらだらだら観ちゃったんだけども、つまりそのくらいの扱いであってすんばらしく素晴らしいというには憚られるんだけども、そんなに悪くなくね? ていうか元ネタの「ニューヨークの幻」も意外と隙のある出来だったりすんじゃね?
で、わりと忠実に原作映画をなぞってて、元ネタ知ってる人ほど楽しめるようになってる。
ろくろまわすとことか、コイン持ち上げるとことか、アノ名場面が! こうきたか! ていうお楽しみ。
最後のお別れんとことか、「ニューヨーク」より沁みるかも。
冒頭場面の反復によって幸福だった頃を否応なく思い出させ、それが失われた悲しさが儚いほろほろ感つーか、夢の中の淡い時間感覚と相まってせつねえ。
悲しくて辛い現実を受け入れること。そして互いに幸福を願う思いにじわっとクる。



「ハッピーフィート」
うわ。なんだこれひどい。
パッケージの表紙のかわいい子ペンギン期待してたのに、ハンパに羽毛変わりかけの主人公が激しくかわいくない。話もとっちらかってる。
人間社会と絡ませる意味あんのかなこれ。踊るペンギンは珍しい芸をして人間を楽しませて役に立つから、魚食わして保護りましょう、っていまどきそんな植民地主義なオチでいいんすかね。
心の声を自分らしく歌って表す、とか言いながら皆同じであるべきていう同調圧力キツキツなペンギン社会がエグい。しかも、歌ウマ偉い→ダンスウマ偉いに代わっただけで、結局は多様な価値観の認められない様子が、見分けのつかないペンギンたちの揃いまくったダンス場面に表れてるようで気味悪い。
いろんな意味で華々しく破綻してて、つか、どうしてこんな出来になったんだろ。



「おくりびと」
納棺師っていう職業にのっかりすぎな気もするけど、でも、おもしろかった。山崎努がイイ味。モッくんの所作が美しい。全体に誠実な印象。
地元の友人や妻の偏見差別ぶり&改心ぶりが典型的過ぎて浅い気もしたけど、こんなものなのかなあ。
モチーフがモチーフだけに、亡くなられる人を取り巻くドラマに、泣いたり、しみじみ越し方行く末を思ってみたり、ちょっと笑ったりした。











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「SHOAH」 [映画]

「SHOAH」というのはヘブライ語で殲滅とか絶滅とかいう意味であるらしい。
第二次世界大戦中、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺のサバイバー、加害者、目撃者など同時代人へのインタビュー集。

すげー長いの。DVD4枚組、503分。ごひゃくさんぷん。8時間23分。さすがに一気観は無理。3日かけて観た。
内容も内容だけにおもしろおかしく愉快に観られるものではないし、覚悟を固めて、夫にも数日の間憂鬱になるかも知らんけどコレのせいだから、とか言いおいてから観た。

で、端的に言っちゃうと、すっごくヘンなものを観た、って感じ。
さぞかし陰鬱に重暗く悲惨なのであろう、と思ってたんだけど、そりゃもう話されている内容は悲惨極まりないし、実際陰鬱で重暗く悲惨なんだけど、観た印象としてはひたすら「?」な。
なに言ってんだろうこの人たち。って感じ。ものすごく異様な、ヘンな、理解できないものごとに直面させられる感じ。

ていうのが、今年の1月のことで、それからずーっとその、なんかヘンな感じが続いてる。


「夜と霧」も観たんだけど、「SHOAH」と併せて観たせいで、そのわかりやすさに違和感持っちゃったのかも。
「SHOAH」の異様さ、理解しづらさっていうのは、なんかコレわかっちゃったら人間として終わりなんじゃないか、わかるべきではないんじゃないか、ていう感じさえする。

だってさあ、なんぜんにんなんまんにんが殺された収容所のただ一人の生き残りの気持ち、とか、
遺体処理が滞りまくりすごい腐臭で、それでも命じられて遺体の腕掴んだら腐った腕の肉がずる剥けた話、とか、
これからガス室に送られる境遇の知人の髪を刈った床屋の談、とか、
遺体処理とかの仕事をさせられるためにガス室から免れた人が、自分が生きのびることに耐えられなくなり自らガス室に入って死のうとしたものの、これから殺されるっていう人たちに諭されて生き延びた、とか、
または、ゲットーの管理責任者だったドイツ人が、餓死者の遺体が道っぱたにごろごろしてるような劣悪な環境のゲットーのことを単なるユダヤ人自治区だった、と単純に信じてた、とか、

そんな話、受け容れ難いよ。
いちいち、なにそれ。なんだそれ。って、なる。
なにがあったのか詳細に語られても、それでも。わからない。なにそれ。

一方で、すごくよくわかりもする。
今現在だって、まるで問題のない社会じゃないから。
苛めとか差別とか虐待とかと同じことなんだろうな、って意味で、とてもよくわかる。


収容所や虐殺の映像や写真などはない。残酷な映像とかでがーんとクる、ってのはなかった。
むしろ、深い森の緑が印象的な、牧歌的な風景。
それは、収容所や処理場の跡地なんだけど、施設の痕跡は完璧に消し去られているので、単なる自然豊かな森の風景に見える。

あと、話を聞く相手の部屋とか職場とか、普段の生活の場面。
線路と鉄道からの車窓の眺めも印象的。
日本語字幕がなければ、「世界ふれあい街歩き」じゃないかと思っちゃうくらい、画ヅラに不穏なとこはないのね。

で、それがまた、ヘンさに拍車をかけるというか。
「ちい散歩」とか「世界の車窓から」で虐殺の様子が語られてるみたいな。

話をする人は、わりに淡々と普通の世間話をするみたいにも見えるし。
上述の、収容所のただひとりのサバイバーなんて、穏やかににこにこ微笑みながら話してた。
もちろん、なかには話すのがつらくって声を詰まらせたり、頑なに拒否したりする人も居るんだけども。
極力編集で切ったりせず、撮ったまんまらしいのね(だからこんな長さになってんだろうけど)。
なので、うまく話しあぐねて言葉を探す様子とか無言になってしまう場面とかも、まんまだらだら流れて、間延びして冗長だったりもして、で、そういう締まらない撮りっぱなし感が、すっごく日常の普段な感じがする。全然劇的じゃない。

そしてその感じが、間違いなく今現在とつながっている現実だ、っていう感覚につながって、怖くなる。戦慄する。
この異様な話をする人たちは実在していて、この異様な話は現実である、っていう感覚が、じわじわこっちの生活に染み込んでくるみたいに迫ってくる。
遠い昔の遠い余所の国のわたしに関係ない出来事なんじゃなくって、今現在の、現実の、わたしが住んでいる世界の出来事として感じられ、ただ、その異様さを認めがたくてひたすら困惑する。


ユダヤ人サバイバー、ドイツ人の施設管理者の話だけでなくって、それらの強制収容のさまを目撃した人や収容所施設の近隣に住まってた人とかのインタビューも結構採ってる。
これがまた、なんか、ヘンな感じが。

連れ去られたユダヤ人たちがまさか殺されてるなんて思わなかった、っていう。

収容所近隣の住民は、何が起こってたか知ってた、気が重くなった、なるべく考えないようにしてた、っていう。

列車にぎゅう詰めにされて運ばれるユダヤ人たちに、首をかっ切られるジェスチャーをしてみせる、なんていう話があって、それ確か映画「英国王給仕人に乾杯!」(だったと思う)に出てきて、すごい不気味な印象だった覚えがあるんだけど、その真意は、どこに連れてかれてどうなるかわからない・わかってないユダヤ人たちに、殺されちゃうんだよ、と教えてあげたんだ、親切だった、っていう。

強制収容とか大量虐殺とか、そんなのは間違っている、ユダヤ人たちが自主的に(イスラエルへ)行けばよかったのに、っていう。


別に、積極的にユダヤ人を嫌ってる感情を表したりはしないけど、なんかビミョーな印象だった。

知らなかった、気づかなかった、自分たちにはどうしようもできなかった、自分たちも占領された被害者だ。
質問の仕方にもよるんだろうけど、なんだか少なからず後ろめたそうでもあった。


で、たぶん、一番共感しやすいのはこの人たちなのかもしれない。
なにか問題があるときに、困難や苦痛を感じる被害当事者ではなく、加害側でもないとき、両者から距離を置いた、客観的で冷静な中立の立場でありたいと思ってしまう。
それは冷静でも何でもなく、単に、問題に巻き込まれたくない・ヒトゴトとして傍観したい、ていう無責任な態度なのかもしれないけど。


けど、逆に、誰に責任があるか、っていうのもわからない。
このフィルムを観てると、誰か(ヒトラーとかナチスとか)の強力な思惑で強引に為された、ってだけではない、なんだか主体の知れない不気味な世の中の動きがあったのかもしれない、とか思う。

もともとユダヤ人への嫌悪や差別感情が強い地域とか、ナチス台頭以前にも、ユダヤ人がつるし上げられたり(ポグロム)したらしくって、そういうミョーな雰囲気が支配的に蔓延してたような感覚は、今現在の日本の社会を鑑みて、なんかすごくよくわかる。気持ち悪いぐらい。

あいつら死ねばいいのに、とか、憎悪が渦巻いてるような。
または、そんなに激しく嫌悪していなくっても、どっか行けばいいのに、とか。
そしてそういう憎悪や嫌悪をダダ漏れにしてはばからないような。
あるいは、それが憎悪や嫌悪だと気づいてさえいないのかも。

で、「SHOAH」の場合、それがユダヤ人だったりしたのかな、とか。
ユダヤ人どっか行けばいいのに、って思ってた人々のひとりひとりは、苦しめとか死ねとか思ってた訳じゃなくって、ただ気軽に気楽に無責任に居なけりゃいいのにって思ってただけかもしれない。
ただ、それが“実現されちゃった”。

鉄道による大量輸送&機械化分業化工場化によって大量処理が可能になり、大量虐殺が“できちゃった”。
とかそういうことなのかな。ていう。
収容所の職員だったドイツ人へのインタビューでは、処理がおいつかない、みたいなことを言う場面があって、その処理というのは端的に殺すことなんだけども。その受け答えはまるきり納期に迫られる工場長、って感じだった。そんなどんどこ送られてきても困るんだよねー、みたいな。送る方はこっちに押しつけちゃえばいいだろうけどさ、処理能力ってもんがあんだからさー。的な。

そう思って観ると、やたらに鉄道の場面が差し挟まれてんのが不気味に印象に残る。



随分以前にテレビのニュースかなんかで見た。イスラエル人の若い女性が、パレスチナ人の自爆テロの被害にあって、泣きながら叫んでた。「アラブ人はどこか余所に行けばいいじゃない」

野良猫を嫌って追い払う人は、追い払われた猫が死ぬとは思ってない。どこかかわいがってくれる人の居る場所に行けばいいと思っている。

劣悪な労働条件に困る人に、嫌なら辞めればいいのに、という人。どっかもっと条件のいいとこに行けばいい。

自分ちから出たゴミはどっかに持っていって処分してもらいたいけど、自分ちの近くにゴミ処理場ができるのは嫌だ。


ホロコーストとは関係ないように見えることも挙げたかも。

ただ、「どっか行けばいいのに」って思うときの「どっか」ってどこなのか。
ひょっとして、それがゲットーだったり強制収容所だったりガス室だったりしないか。

とかさ。


いろいろ思うことがあって、まとまらないまま書いたんでだらだら長いけど。
今、思うところとして。








タグ:映画 SHOAH
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「探偵はBARにいる」 [映画]

結構おもしろかった。

カッコつければカッコつけるほどサマにならなさが笑える大泉洋のキャラだちを前面に推し出してる訳なのですね。
どっか猥雑なすすきのの街の風景と相まってハマり具合がイイ。

松田龍平との掛け合いがおかしくて好好。
高田イイわー。飄々と動じない感じがいちいちテンション高い洋ちゃんと好対照。
後半とか、もうちょっと活躍してくれてもよかったのにな。

わりと初っ端の雪ん中生き埋め場面の高島弟との掛け合いもキモ怖おかしくておもしろかった。わたしはジンギスカンはラムですかねー、味付け肉よりベルのジンたれ で。
つか、カトー怖いよキモいよエグいよ怖いよー。

小雪=沙織がまた、絵に描いたような“イイ女”というかハイボールつくる女というか。こういう女の人が好きなおじさん多いんですかね。
ちなみにシロタ夫は小雪がハイキングウォーキングの鈴木Q太郎に似てるwとやらで、何かにつけ小雪が出てくるとニヤニヤします。まあ言われてみると確かに。卑弥呼卑弥呼。ニヤニヤ。

と、総じて全編登場人物のキャラだち濃厚。
新聞記者とか喫茶店のウェイトレスとか、田口のおっさんとかその女房とかも、それぞれ多めに盛ってある感じ。
どっちかつーとこういうの、連ドラで観たい感じだなー。もちっと軽妙なノリで、毎週一話完結でさ。


それにしても、思ってたより暴力っぷりが痛くて怖かったです。もっと軽いノリかと思ってたんで。
冒頭の霧島の殺され方もキツかった。痛い痛い。


あと、カメラワークがなんかチャカチャカせわしなくって落ち着かないとこが結構あった。
走ってるとことか、ぐらぐら揺れんの。一回くらいなら、疾走感とかあわてふためき演出って思えるけど、何回もかまされるとキツい。
とか思ってたら、Oohさんの指摘に納得。あー言われてみればピンぼけてた。うんうん。
あと、なんか思いつきっぽいアングルだったりもしたような。田口のおっさんをビルの屋上で問いつめるとことか、あの俯瞰要るのかなー。ていうか何故に屋上。


あとねあとね、BARなのに酒がちっとも旨そうじゃないってのもどうかと。
わたしは下戸なのだけど、呑みたくっても呑めない下戸だからこそ、酒呑みの方々にはカッコよく旨そうに嗜んでいただきたいのですだよ。

だいたい、店に居続けだっつのに、割りもの(アイスウーロン茶みたいに見える)とか、そもそも頼むものが妙。とってつけたようなカクテルなんか、バーテンにシェイカー振らせてそれっぽく見せたいだけじゃないのかっていう。

長っ尻には長っ尻の飲みものがありそうな気がするのですよな。
なんかこだわりのボトルとか気に入りのグラスとかでちびりちびり、みたいなさ。
シングルモルトだブレンデッドだジンだスピリッツだチェイサーはどうだ、だとか、こういう場面での酒の選び方呑み方にも探偵のキャラとか出そうじゃないすか、もったいない。
小雪=ハイボールのイメージも相まって酒がカジュアル過ぎ。ていうか昨今の酒が軽過ぎなのかも。だいたいが、吉高由里子のトリスハイボールなんかもアレだと思っているのだぜ。サビニャックのトリスおじさんが醸し出していた安酒のペーソスみたいなものが台無し。

BARとしても、バーテンダーが小間使いみたいにお仕えし過ぎ。ああいう客は隅っこで邪険にされないといかんでしょ。
で、肩身狭く文句垂れつつ、安酒をちびちびやるのが風情なんじゃないのかなー。などと。

というわけで、松田龍平が摘んでたおかきの方が旨そうでした。塩おかき食べたい。


まあそれとか、探偵ってば気づくの遅過ぎないかそんなんで探偵やってれんのかなー、とか、カトーったら田口の息子殺しを用心してるくせにその親をそんなに派手にヤっちゃっちゃマズいだろうよていうか警察なにしてんだよ、とか、そのカトーのヤられっぷりに少しは用心しないのかね弁護士も関西やくざも、とか、なんで関西やくざの結婚式を札幌でやってんのかすぃら、しかもSPとか居ないんだ不用心ー、とか。
いっろいろツッコミどころはありつつ、まあおもしろかったです。

やっぱり連ドラ化してくんないかなー。





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「BIUTIFUL ビューティフル」「生きる」 [映画]

いっつもイリャニトゥかイニャリトゥかわかんなくなる、イニャリトゥ監督作。
「BIUTIFUL」公式webサイト(音注意。予告篇が始まります)

前作「バベル」に大変ググッとキたし、タニプロさんの絶賛も気になるし、で観た。
インスパイアされた作品であるらしい「生きる」も観た。

「BIUTIFUL」
BEAUTIFULのスペル間違いが愛らしくって好き。
タイトルにもってきてる割にそんなに重大な扱いがされてるわけでもないんだけど、その他愛なさがまた好ましい。
美しさ、っていうよりも、ささやかな善きもの、って感じ。
一家でアイスクリーム食べるとことかも、なんてことないんだけどほっこり明かりが灯ったみたいに印象に残る。


それにしても、まー濃ゆい濃ゆい。
どなたもこなたもぐっつぐつに煮詰まって進退窮まり、で、進退窮まってる故に選択肢は狭められ、さらに困り果てるっていう、おそろしく気の滅入る展開。
なんと愚かしいことよなあ、とか思えてしまって、そんなふうに思うのも端から見てるだけの傍観者視点・上から目線だからなんだけど、実際のとこ、端から見てるしかなくって、そのやりきれなさにもじわじわクる。

ただ、不思議なんだけど、濃ゆいわエグいわぐつぐつなのに、どこか突き抜けて透徹した諦観みたいなものが感じられて、妙な具合に後味は悪くない。胸焼けしない。
ラテンの濃ゆさ+東洋的な無常観みたいな。

「21g」では、それでも人生は続く、っていうことの苛酷さにぎちぎちキたけど、「BIUTIFUL」では、それでも人生は終わる、ってことの無常を思った。

どれほどつらく苦しくても死ぬまでは生きなくちゃならない。
どれほど心を残しても、留まることはできない。去らねばならない。


マランブラかーちゃんがよかった。
なんかちょっと困った人なんだけど、責める気にはなれない。単にダメ人間と、切って捨てられない。
ていうか、マランブラに限らず、主人公ウスバルも胡散臭い兄貴も、アナもマテオもリリもイヘも痴情のもつれまくる中国人元締めも誰もかも、体温があって血が流れてて、生きてる人間の存在の重さがずっしり伝わってくる。

昨今、インタネットが特に顕著だけれど、メディアを通した映像や文言だけの人間を見聞きしていると、ものすごく簡単に「ダメ人間」「死ねばいいのに」「出ていけ」とか言えてしまうのな。

「BIUTIFUL」に出てくる人物を見ていると、そんな簡単にいかないことが腹にこたえて実感する。
死ぬっていっても、死ぬまでは生きなくちゃならなくって、生きるには食ったり稼いだりしなくちゃならない。
反吐を吐いたり糞尿垂れたりもする、きれいなばっかりじゃない、生身の人間が生きてることの重さ。

腐ったゴミ溜めみたいな世界で。

BIUTIFULな、ささやかな善きものが偶に在るかもしれない。
でもそのことも別に世界を変えたりはしない。

全然美しくはない。
でも別に構わないでしょ。
美しかったり素晴らしかったりしなくちゃならないもんでもないでしょう。





「生きる」
すげーおもしろかった。
余命幾ばくもないと知った主人公のおじさんが、それまでの生の実感に乏しい人生を悔やみ、自らの意志でやりたいことやるべきことをやり通そうと決意する。
ていう、どってことないお話なんだけど、めちゃくちゃおもしろい。

胃ガンが見つかってがーん!てショックうけたり、自棄になって散財しようとしたものの散財の仕方・自棄のおこし方もわからなかったり、刹那的な振る舞いを女遊びに疑われたり、変貌ぶりを周囲に訝しまれたり、あれこれな様が、いちいちおもしろい。ユーモラスに笑えるとこもある。

クラブで「ゴンドラの唄」を歌うとことか、沁みる。
「誕生日おめでとう!」の喝采が主人公の決意に重なるとこは鳥肌がたった。新たに生き直そうとすることへの祝福がじーんと胸アツな晴れがましい場面。画の動きがまた絶妙でシビレる。

その後の頑張りの様子は、主人公の葬式の席で事後談として語られるのも大胆な作劇でおおーと思った。
コレがじわじわクる。
主人公の行動に不可解・無理解だった周囲が、いくつかのエピソードが重ねられるとともに徐々に、ただ一度きりの生に全力で向かっていた姿を知る。その当人の葬式の席で。


生を愛おしいと思えてくる。ちょっと違うけど、「アメリカン・ビューティ」とか観たくなったな。
なんだか元気が出てくる映画。

「BIUTIFUL」にも、ちらっと引用っぽい場面があったのかなあ。橋の上で夕焼け見るとこ→夕暮れ時の歩道橋で電話するとこ、とか。あんま関係ないかな。



それにしてもこんなふうに、余命いついつ、とかって告げられるのはなんかちょっと羨ましいような気もする、とか言ったら不謹慎かな。いや、そりゃ大変なショックなんだろうけど。

ていうか、たまーに、あとどんくらい生きなきゃなんないんだろう、って、先行きのわからなさに途方に暮れたりするような心持ちのときがあって、そういうとき、終わりが示される、ていうことに憧れたりする。いついつまで頑張ればいいよ、もうすぐラクになれるよ、みたいな。
って、オマエ普段いつもそんなに頑張って全力で生きてるっつーのかよ単にヌルい現実逃避ってだけじゃねーのと言われればそうですねすいません。








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「コクリコ坂から」 [映画]

※追記しました。


観た。観ましたぜ(何故か威張る)。

世間の評判では「耳をすませば」が好きな方なら気に入る、と聞き及んでおりましたが、うん、確かに若者達の瑞々しい青春群像、胸にきゅんとくるピュアな恋愛、とか、そんな感じのお話でした。

ジブリ自慢のゴハンとか日常の細々した所作の描写、横浜の風景や街並みや海に臨む景観、市井の人々の生き生きした暮らしぶり、ヲタ的こだわりの船舶などなど、ジブリな見どころ満載、安定した質の高さ。
カルチェラタンの魔窟っぷり、お掃除(宮崎駿アニメってよくお掃除出てくるよね)も楽しい。

音楽のつかい方もイイ。初っぱなのメトロノーム音からピアノのスタート、朝ご飯の歌のウキウキしたスタートにはぐいっと引き込まれる。ピアノ楽しい。
手蔦葵の歌。この人の歌唱は凄いな。


しかし、でも、だけど。なんだろう。
観てる間、わたしは結構冷めておりましたです。あんましきゅーんてコなかった。
雫!聖司くん!のトキメキ感には遠いっつーか。

何故に海ちゃんが「君のおかげだ、メル!」とかって中心に据えられるのかがよくわからない。あんまりスター性を感じないつーか、よい子なんだけどよい子過ぎるつーか、地味でおとなしめな気がするのよな。何故か大人気。何故に大人気。
あ、メルというのは海の愛称であるらしい。たぶんフランス語由来の“la mer(ラ メール=海の意)”なんですかね。そういや関係ないけど中学の頃、「野(の)」って名字の子が居て、オブってあだ名で呼ばれてました。英語の前置詞“of”ね。すごいセンスだ(笑)。
風間くんは、まあフツーに素敵ですた。
…ヘンな言い方になったな。フツーに素敵。“みんなの憧れの素敵な先輩”ていう役を巧く演ってる、て感じ。

なんかね、海も風間くんも生徒会長も理事長閣下(閣下て。笑)も哲学部部長に至ってまでも、登場人物達にソツがないというか、役柄を巧く演じてる、デキが良過ぎる感じがしちゃったのね。
人物の揺らぎとかブレとか、呼吸を感じない、いやお話的にはぐらんぐらん揺れてるんだけど、その揺れさえ計算通り台本通り、みたいな。気のせいかな。

※1
でもって、そういう人物たちの“役柄演じてる感”によってなのか、なんかすごーく、'60年代オワコン感が漲ってる気がした。オワコン→終わったコンテンツ。
完全に過去った。
'60年代、戦後民主主義が最高潮に盛り上がった頃、なのかな。
それが葬られてる。

キザい生徒会長の芝居がかった身振りとか、ガリ版新聞の時代がかった言い回し、皆で肩組んで歌っちゃうフォークくささ、哲学部部長のアレな言動と魔窟カルチェラタンの楽園ぶり、反体制の身振りがカッコいいとされる空気(“エスケープ”がステキなことなのね)、そういう、'60代を象徴する事柄が、どこか滑稽で、遠おーい懐かし感、そんな時代もありましたねえ的に、終わった感漲って描写されてる。

過ぎた時代のことだからってオワコン描写以外に描き方がないのかっていうとそんなことはないはずで、たとえば現在でもインタネットの新たな結びつきによる民主化運動の可能性(ジャスミン革命とかね)とか、行動しよう!っぽい盛り上がりもあるわけだから、そこへ引き継ぐような、今こそ!この時代の精神を!みたいな描き方もできるんじゃないかと思うけど、そうはなってない。
コレ観て、団結だ!行動を起こそう!とかにはなんないと思う。いや別にならんでもよいのだけど。 ただ、ひたすら“懐かしい”に留まってる。

個人的にはちょっと羨ましいかな。
こんなに、自分の考えで行動するってこと(あーまあホントに自分の考えだったかどうなのかは微妙だけど、とりあえず自分の考えだと信じてたろうね)が称揚された時代だったんだなあ、とか、高度成長期まっさかりな将来展望を信じきってる明るさとか、若者の層の厚さ(今って本当に高齢化社会なんだなあ…。いや、わたしはコドモくさいの好きじゃないから老成した高齢化社会な雰囲気もけして嫌いではないが)、とか。

唐突に、団塊世代ぶっちぎりな親に言われたすっとことんまな台詞
「なんであんたは反抗期に反抗しなかったの?」
のあまりにもあまりな無邪気っぷりを思い起こす。はははは。
わたしは感受性の強い(自分で言う。威張)過剰適応気味のとてもよいコちゃんだったので、あとから無理がキちゃったことを指して言われた台詞ではあるが、そのように思っている団塊ズは少なからず居るんじゃないのか。
「どうして君たちは反抗しなかったの?」

それはねえ、反抗されてんのを無視して、なかったことにしちゃってるだけですよ。
校内暴力とか凄かったでしょーが。それをコドモのワガママとか不良の悪さとか親の躾の問題にして、無効化しちゃったでしょ。その後の不登校とか引きこもりは、そういう対話のなりたたなさによる絶望ってこともあんじゃないすか。
それにね、親世代の反抗する俺たちカコイイな風潮をなぞって反抗しちゃったら反抗にならないんですよ。つまり、「どうして反抗しないのか」なんてのは「どうして俺らの真似しないんだ、思い通りになんないんだ」って言ってるようなもんですよ。ふん。ばーかばーか。

あ、なんか話がズレた。
※2タイヘン甚だしく盛大に偏って、世代感覚に依った一面的な観方ですよ、と断っときますが、この映画は「ゲド戦記」に引き続き、宮崎吾郎の父殺し、父の属する時代殺し、なのじゃありませんかしら、という感想を持ちましたです。
さよなら、'60年代。ってことなんじゃないですかね。
そういや今晩、NHKで宮崎親子バトル特番やりますね。どうなのかなあ。はははは。

そんなわけで、自分の世代感覚に邪魔されて素直にお話に堪溺できませんでした。
我ながら邪道でつまらん観方だよ。

もっとお若い方が如何様にご覧になるかはまた違ってくるかと思いますわ。ちょこっと興味はある。
素直に風間くんカッコいい〜とか、好きな人とエスケープしたい!とか思えるのかな。
羨ましいかも。



ふん。ばーかばーか。


<追記>
'11.8.9にupした記事に追記したりあれこれ加えて更新。

なんか昨日書いたものの、ひと晩経ったら、あれえ?うーんなんか違うかも、と思い直して追記。
ていうか、Ouchだな。Ouch Ouch。イタタタって感じだ。
わたしはよっぽど’60〜'70年代('60sと'70sではまた結構違うらしいけど)に属する人とものごとが嫌いであるのだなー。
全然フツーに観れない、冷静に観れない。
なんかすごいいろいろ嫌なことをずるずる思い出したりして、痛痒い思いをした。←そこまで重症かよ

※1の文字色変えたとこ、アヤシい。以下、この文字色は妥当かどうかアヤしい部分です。
’60年代オワコン描写ってのは違うかも。ていうかもうとうに過ぎた時代のことなので、政治的な意図もなく屈託なく客観的に描ける、フツーに描かれてるのかもしれない。特に持ち上げるでもなく批判するでもなく、単に背景として。
それにしてもさあ、肩組んで熱唱とか、閣下! とか、サムくない? サムくないのかな。

なので、※2あたりもアヤしい。シロタの思い込みでありましょう。

あ、NHKの番組「ふたり」観ました。
別にそんなにバトってなかった。ものつくってたらフツーに起こる衝突なんだろうな、くらいの。

それはそれとして、海ちゃんがもっと暗いキャラだった、ってのは、へえー。て思った。そっかーそうなのかー。
だいぶ溌剌パキパキな明るい子に路線変更させたらしいけど、それでも地味だと思っちゃったなあ。

思うに、宮崎吾郎という人の感性とか演出というのは、叙事的なのかもしんないなー、とか思った。まず設定とか世界観をイメージしてんのかも。
「ゲド戦記」んときも、登場人物の気持ちとか動きとかより、物語全体にただよう薄暗い世界観、黄昏感が印象的だったのよな。
それはそれで活かして、人物より風景や事物・出来事に焦点が当たる映画ってのもあってもよさそうな気がする。アニメだからってなんでもキャラ萌えってことでもないだろうしなあ。




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「SUPER 8」 [映画]

「E.T.」へのオマージュ作とかいう話だし、観て重暗くなったりはしないだろうと踏んだ。
最近社会問題とかに膿んでてあんま重たいもん受け付けないの。精神的胃弱。

そういうときに最適なチョイスでした。
なんかこう、安心してアトラクション的に楽しめる。

ほの懐かし〜い感じの少年少女冒険SF。
ほの懐かしいっつか、もろ懐かしい。
時代設定が'70年代ってせいもあって、それこそ「E.T.」やら'80年代の映画っぽさ醸し出されてんのかな。音楽とかも懐かしい。
エンディングの曲があーこれなんだっけなんだっけえーとえーと思い出せねー、って夫とふたりで悶えた。

発端の列車事故に度肝を抜かれる。貨車飛ぶし。爆発するし。けど誰も死なないし怪我もしないあたりに、安心して冒険を楽しめるアトラクション感。
正体の分からない怪しいモノの暴れっぷりとか破壊され具合の展開がミステリアスでわくわく。
いやあ、丁寧にフラグ立てて律儀にそれを拾ってぶっ壊し、無闇やたらに壊された破片とかがぼこぼこぶん投げられたりするのがおかしくって。これみよがしな怪しさがサービス感。


ヒロインのアリスがすっごくイイ。
まだコドモなんだけど、表情や角度によって、大人になったらどんな女性になるかなー、みたいな面影がちらっと兆すのが魅力的。役柄のせいもあるけど、あんま笑わないのね。
仏頂面の女の子って媚びてない感じがして好き。それに、あんくらいの年頃ってヘンに潔癖でちょっとしたことに苛立って不機嫌だったりするよね。
関係ないがわたしはAKB48とか、ああいう愛玩人形的コドモ少女がもてはやされる風潮が嫌いです。笙野頼子作品に出てくる火星人少女遊郭が思い起こされる。
女の子は仏頂面がキホンだぜ(偏見。ていうか単に好み)。

男の子たちはわかりやすく「スタンドバイミー」でした。実はわたしは「スタンドバイミー」の良さが今ひとつピンとこないもんで特に感慨もなく。ふーん。
あと、とってもわかりやすい“不器用な父親”“不器用な父親と子のすれ違い”が2パターン。はははは。いや、わたしは“不器用な父親”の良さもわからんが。


暴れんぼのアレの正体が知れたのちの展開はわりとあっさりしてたのかな。なんか、とんとんさくさく解決したような印象。
えそんな「気持ちわかるよ」程度であっさり諭されんの?とか、そんな簡単に帰れんだったらさくっと帰ればよかったんじゃね?とか思っちゃったが、異星人的には苦労したんだろうか。


とかちょこちょこツッコミつつ、フツーにおもしろかったです。


で、この後アレが南アフリカに行って難民エビになるんだよね(違)


タニプロさんとこの記事→タニプロダクション「雑記・映画のカンタンな感想」





タグ:映画 Super 8
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「ゲド戦記」 [映画]

アニメ化された映画の方。原作は未読。
最近、中古屋で安くなってんの見つけて入手。わーいわーい。
amazonのレビューとか眺めてもさんざんに酷評(そればっかりでもないか)されてるみたいだけど、わたしはコレ結構好きです。
もうすっごい鬱いんだけど、この鬱加減が適。

全編を通じて、世界に対する懐疑、不安に閉塞して身動きとれなくなるような重苦しい空気が充満していて、ただ、それが不思議に不快じゃない。
すごく切実で苦しくてギリギリで、でもどっかこう、透明な諦観というか、もの悲しさを湛えて静かに向かい合おうとする。その姿勢が誠実なんだと思う。


草原でのテルーの歌んとこは結構ぐっとクる。哀切。
その場面に至るまでの、猥雑な都市の風景や理不尽な出来事と対比して、風のわたる草原の広がりや沈みゆく夕日の輝きに感じ入る。
細やかな情緒を感じる風景描写。
ただ、この風景は、どこまでも他者で、隔たってる。トトロやナウシカの森と違って慰めてくれたり話しかけてこない。
誰かが泣こうが喚こうが風は吹くし日は沈む。世界は別にオマエのためにある訳じゃねえし、的な。まあ一方で、だからオマエひとりで世界を背負いこんで苦しまなくてもよかろうよ、ていうことでもあるけど。
そういう突き放されたところが、びちょっとし過ぎなくってイイ。


また、そういう風景描写を連ねつつ、理不尽と暴力な世相の描き方、鬱加減がキてる。パねぇ。
初っぱなから竜の共食い(首をちぎるとことか結構エグい)とか、国全体が疫病や不作続きな不吉不穏に重ねて、いきなりびっくりな親殺し。廃墟で白骨踏むユパ様ハイタカに、とりあえず助けられつつも主人公としてどうなのかってくらい不吉すぎる怯え顔アレン、街についた途端に人身売買に薬物依存と畳みかけられ、どんだけ鬱いんだ。
テルーが暴漢に追われる場面なんかには、マジで性暴力の気配を感じて竦んだ。怖い。

で、そういう理不尽とか暴力とかに対して、憤りや反撃に向かうんじゃなくて、ひたすら鬱。
アレンの、ホラー映画の登場人物並みに不吉なビビり具合に加え、逃避しようとしつつも逃げきれず(生真面目なコだのう)、諦めにうなだれる様子が強力に暗黒で鬱い。
クモにつけいられ、ハイタカを攻撃する場面は、父親殺した場面の画ヅラととぴったり被る。つまりアレンは二度も父親を殺すに至った訳だ。そりゃもう果てなく際限なく鬱い。

で、そこまで盛って重ねた鬱・不安状態から転じて、影を取り戻し、クモと対決するくだりは、ちと性急な気もするし理屈っぽくて説教くさいかなー、とかも思うけども。でもそんなにヒドくなくない?
影を取り戻した瞬間の竜の幻視とか、結構ざわっとキた。皮膚にクる。
クモの崩壊ぶりのキモさ加減もかなり生理的にクる。

竜とアレンが草原に降りるとこ、テルーの歌の場面と重なる風景は、ここでは夕陽でなく朝陽。沈むんじゃなくて昇る太陽。
とはいえ、テルーの歌の場面のもの悲しい情感が重なって、どこか寂しくたそがれてる。

世界の昏さは晴れない。
そういう甘くなさも結構好き。

悪くないと思うんだけどな。


ちなみに、拙ブログ「千と千尋の神隠し」記事に、「ゲド戦記」に関わる濃厚なコメントをいただいてて、本編記事より読みごたえありますんですぜ。是非にご参照くださいまし。








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