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「祇園の姉妹」 [映画]

するするーっと、滑らかに絵巻物を広げる感覚で、映像があらわれる。
目が映像を捉えるタイミングと、脳が物語を理解するタイミングがぴったりシンクロして、ものすごく気持ちいい。

というか、普段、映像を観る際に、「えーとこの人物はそういう事情でああなっているのだな」という読解の負荷がかかることを、まったく当然の前提として観ていたのだな、ということに気付いた。
もちろん、読解の負荷そのものを楽しむ映像表現を否定する訳ではない。(むしろシロタとしては「かかってきやがれ」だ)
けれども、単純至極なはずのTVコマーシャルですら、「これ、なんのCM?」と首を傾げることもある昨今、無意味に観客を試すような負荷には正直、辟易。そーいうのは自己満足っていうんだぜ。

滑らかな展開、ストレスフリーな映像によって描かれるのは、キャラの立った人物たち、説得力のある所作、軽妙な会話、シンプルで芯の強いストーリー。
妹芸妓のおもちゃがくるくると鮮やかに男を手玉にとる様にはニヤニヤしてしまうし、翻弄される男たちの様子に溜飲を下げてみたり、男に寄り添う姉の梅吉の様には「そんな男捨てっちまえよ!」と言いたくなりつつ、いやそんな割り切れるもんじゃないしな、と、しんみりしてみたり。
つまるところ、笑ったりハラハラしたり、百面相しながら映画を楽しんだ訳なのです。


が。
なにか、こう。
ひとこともの申したくなるという感じが残りますです。
溝口は、おもちゃに「男なんか」と、言わせるけれど、しかしその溝口自身のスタンスはまったき「男」なような気がするんだよねー。
「山椒大夫」にも感じたんだけれど、マッチョで説教くさい。嫌な感じではないんだけれど。
たぶん、溝口監督って、よくも悪くも男らしい人なんだろうなー、と思います。

戦後の日本に急ごしらえで注入された人権感覚、現代的ヒューマニズムへの理想が高々と掲げられる。
そういった時代性の反映は、けして「映画」を邪魔するものではないです。
「面白い」ことは間違いない。


でも、観賞後になーんかひっかかるのは、わたしが女だからなんですかねえ?(笑)





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