「山椒大夫」 [映画]
これは、日本画ですね。
動く日本画。
表層をなぞった「和風」ではなく、日本美術のエッセンスが映画という媒体に昇華されている。
琳派の大胆が、水墨画の幽玄が、地獄絵の凄惨が、浮世絵の俗が、絵巻物をひろげるように物語る。
モノクロームでありながら、重さや暗さを感じない。
墨一色に抑えられているからこそ、無限の色彩が顕われ得る水墨画のような鮮やかさ。
長谷川等伯の「松林図」のように、豊かな色彩を感じる黒。
すすきの野を行く親子。
山椒大夫の残酷。
海を臨み、立ち尽くす母。
波紋を従えて水の中へ歩みゆく安寿。
浜辺をさまよう厨子王。
美しい。
その、美しい画と物語が分ちがたく結びつき、相互に深みを増す。
特に、安寿の入水シーンは物語を離れたタブローとしても純粋に美しいが、物語との関係性において、より悲壮に悲劇的に迫力を増す。美しさが説得力をもつ。
わたしは映画を観る際に、あんまし物語性は重視しない方で、雰囲気が壊れるくらいなら物語が破綻しても構わねえや、くらいの重視しなさ加減だったりするんだが。
こんなふうに、映像と物語が相乗関係をもたらす映画の在り方というのは、それまでに経験がなかったな。
というか、経験はあったのかもしれないけれど、初めて意識させられた、と思う。
仏教説話や能や浄瑠璃など、さまざまな物語要素が巧みに構築されているんだろうなー。
そこいらは全然しらないんでよくわかんないけど。わかんなくても十分に伝わる物語だし。
あと、これは他の溝口健二監督作品(っても、今のとこ他には「祇園の姉妹」「近松物語」しか観てないけど)にも共通して感じられる、近現代的ヒューマニズム。
物語を邪魔するものではないんけど、ちょっとビミョーなところかも。
思いついて「山椒大夫」のラストシーン、厨子王が母を尋ねて佐渡に行くあたりで消音にし、ラヴェルの「ボレロ」をかけてみたら、すごいハマりました。
溝口健二&宮川一夫の画を堪能しました。
溝口健二にボレロ...想像してみました。
by room7 (2008-08-27 23:12)
nice!ありがとうございます。
「山椒大夫」にボレロはあり!です。
「近松物語」は浄瑠璃の音楽がつかわれていて、こっちはその音がとても効果的でした。
by シロタ (2008-08-28 09:53)