SSブログ

「女が階段を上る時」 [映画]

naruse.kaidan2.jpg女が階段を上る時。

もうこのひとこと、このフレーズだけで物語が動き始める予感。
書き出しの一行で持っていかれる小説みたいな。

バーの雇われママ、圭子(高峰秀子)は、客と関係を持たず、男に頼らず、気丈に店を切り盛りする。
「ママは誰が好きなの?」と問う無邪気な若いコに、「どの人も恋人と思うのよ」と諭す。
「本気で誰かを好きになったりしたら、やってられないわ」、と。

勤め先の店は二階にある。
毎日階段を上る、その足取りは時に重く、躊躇いがち。
えいっ、とばかりに、自らを奮い立たせる姿が印象的。

雇い主からの厳しい要求、繁盛している余所の店、気まぐれな客、金を無心してくる肉親。
数多の男たちと諸々の事情が、間断なく、しつこく、小蝿のようにまつわりついてくる。

もうホントに、酷い男ばっかり出てくる。
というか、男の嫌なところを露悪的に見せつけられる感じ。
店を持たせてやるから、と関係を迫る男。
自殺した女の葬式に、借金の取り立てを寄越す男。

思わせぶり、吝嗇、狡さ、小心、身勝手、保身、言い訳、因業。
そこまでやるか、ってくらいな徹底ぶり。容赦ない。
気丈に振る舞って切り抜けてゆこうとするけれど、じわじわと疲弊してゆく。
諦めとも抗いともつかない感慨が胸に迫り、正直、本気で胸焼けしてくるほど濃ゆいです。


圧巻は、藤崎(森雅之)を駅に見送りに行く場面。
あの笑顔。美しさ。夜叉の微笑み。

圭子を夜叉にしたのは、むしろ情けとか誠心とか、そういった類いのものかもしれない。
騙されるのなんか平気なのだ。騙された自分を嗤えばいいだけ。
女をしんからどん底に突き落とすのは、騙そうともしない、誠実で優しい男なのだろう。
憎ませてもくれない、惨い男。

「ほんとうに、好きだったのよ」
やっとの思いで告げた、ほんとうにほんとうの気持ち。それなのに。
好きなひとに、謝られてしまうなんて。
哀れまれてしまうなんて。
大惨事だ。

ラストシーン、圭子は軽やかに階段を上り、客を迎える。
晴れ晴れとふっきれた、夜叉の微笑み。


女の強さを称えるお話と受け取ることもできるだろうけれど。
強くならざるを得ない状況に追いつめる運びは、非情に過ぎるとも思う。

ハードボイルド。固茹で過ぎて、喉詰まり。





コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

トラックバック 0

個人がメディア化する「めし」 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。