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「アトミック・カフェ」 [映画]

Atomic-Cafe.jpgものすっごい皮肉。 何かがおかしい。妙だ。とてもヘンなものを観た。

広島と長崎に落とされた原爆は日本を降伏させた。ヤッタヤッタ! というヘリクツから映画は始まる。
♪原爆は恐ろしい敵から自由の国を守るためのすっごい武器なんだ! ヤッホー原爆だー! 頼れる味方 わーいわーい♪ という感じのノーテンキな歌が神経に障る。
どうやら、原爆ってカッコよくてクールなものとして認識されていたらしい。

核実験が何度も行われ、その影響はさすがにヤバくね? という風潮に対して「大丈夫! 問題ない、OK OK!」と言い続ける軍や政府のプロパガンダ。裏腹に怪しくそそり立つキノコ雲。
核実験による被害があからさまな映像に重なって「一時的なもので大したことはない」とウソっぱちがバカみたいに繰り返される。

あまりにもグロテスクな思想に吐き気を覚えながら、それでも続きを観た。
何か違う。核兵器を肯定する意図としてはあまりにも稚拙であからさま過ぎ。
もちろん、現代の文脈に立てばこそ、それを“稚拙であからさま”と言える訳で、状況によってはどんなトンチキなことをも信じ込んでしまうものなんだろうけど。
そういう、思想統制とかプロパガンダの不気味さが生理的に迫ってくる。肌が粟立つってのはこのことかも。

でも、でも、なんか違う、って感じがしてどうしようもない。
この映画のつくり手はいったいどこに立ってんだろ、といぶかしく思う。
なんだろうこのヒトゴト感。

東西冷戦の緊張が高まり、東側の攻撃に対抗する手段として、ますます核兵器を頼みにするアメリカ。ソ連が核兵器を持ったことにより、攻撃される恐怖を煽られる民衆。今度は避難のためのシェルターが大流行。自由の敵・共産主義と戦うために、シェルターに隠れて耐える不自由の極みを選べ、という皮肉な状況は痛烈。

ラストシーンは絵本「風が吹くとき」(著レイモンド・ブリッグス/翻訳さくまゆみこ/発行あすなろ書房)を思い起こさせる破滅。
爆風と閃光、煙とキノコ雲、爆風に吹き飛ばされる家屋。♪戦争をやめよう ぼくたち愛しあえないのかな♪と、やたらに明るい歌が重なる。


どうやら、反核映画であるらしいんだけども。
“戦争や核兵器はこんなに恐ろしいから反対しよう”っていうビビらせ戦略みたいなのには、自ずと限界があるんじゃないのかな。
平和運動=コワい話を聞かされる、っていうんじゃ、続かんだろ。
恐ろしいことなんてもう知りたくない。正直言ってしんどい。

稀少な映像を集め得た、という点については有意義なのかもしれないけど。
とてつもなく虚しい。あまりにもグロテスク。






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