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「リベリオン」 [映画]

伊藤計劃「虐殺器官」が、“今!まさに現在のわたし(たち)のお話!”感がものすごっく真に迫ってくる、腑に落ちまくるもので、ものすごく勝手なことながら、その作者に対してあんた友達かってくらい親近感を覚えてしまう訳なんだが、その伊藤計劃がツボりまくったらしい映画が「リベリオン」。

伊藤計劃の「リベリオン」評


なるほど。なるほどなるほど。
なんかなつかしーい感じの管理社会っぷり、ていうのは確かに。初っ端から感情規制法だって。笑。感情を抑制する薬物投与が義務付けられてて、囚人服とか制服みたいな揃いの身なりだったりっていう、見慣れたアレな感じの。
妙なアクション「ガン=カタ」にはちっとも萌えないし、わたしのツボではないんだけど、なんか激しくなるほどな納得感。

こういうのに萌えたり懐かしいと感じたりすんのって、かつてそういう抑圧的な管理社会の表現が席巻していた故、ってのもあるけど、そもそも、我々はこーいう管理社会育ちだからじゃないかと思う。
我々というのは、’70年代半ば生まれの所謂第二次ベビーブーマー、団塊ジュニア世代というやつです。

要するに学校だ、これ。
我々が中学高校生だったとき、学校はがっちがちの管理教育真っ盛りでしたのです。
シロタ的には「ぼくらの七日間戦争」が悶えツボ。

「リベリオン」の主人公は感情を刺激する絵画や文学や音楽などの所持を取り締まる捜査官=クレリック(牧師の意)なのだけど、詰襟みたいな服装が学校制服とデジャヴって、めっさ熱心な優等生の風紀委員長みたいでさ。
レコードとか写真とかリボンとか香水ボトルとか、感情規制違反の証拠品があれこれ取り締まられるんだけど、これってまんま、持ち物検査。勉強に関係ないものを持ってくるなー、ってやつ。
鏡のふち飾りがちょっと凝ってるってだけで、これは違反!とかっていう場面もあって、恣意的な基準が発動されまくる妙な服装持ち物検査を髣髴とさせられる。

んで、主人公が感情抑制剤の投与を断って、違反した女性に気持ちを揺さぶられたり、押収した違反証拠品である品物をこっそり慈しんだりする、その気持ちを隠すこっそりな感じとか、規則とか上司に従ってるふりの取り繕い様・面従腹背ぶりまで、なにかとデジャヴ。勘弁してくれ。

映画としては、管理社会の抑圧にたちあがった主人公が、ナゾの武術「ガン=カタ」アクション炸裂させて時代劇のよーに敵方をばったばったとなぎ倒し、ラスボスやっつけて革命だー、な、さっくり娯楽なお話でした。


伊藤計劃は'74年生まれ。
彼の書くものには怒りがある、と思う
「虐殺器官」のエピローグ、世界の欺瞞を断罪する主人公。
「ハーモニー」で世界を裏返すミァハの怒り。
いずれのお話も、復讐のように思えて。

で、その怒りの一端を「リベリオン」な学校社会への愛憎に見出そうとするのは安直かのー。
作品と作者の背景を重ね合わせて読むのって下衆なやり方で、避けたいとは思う。
同年代のシロタが、勝手に思い入れて、自分の感慨を伊藤計劃の作品に見出した、ってことかと。
甚だ勝手に、なるほどな得心に至ってしまったことです。






 




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