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「ハウルの動く城」 [映画]

個人的に、「ハウル…」は宮崎駿作品の中でも非常にとっつきづらく、なかなかしっくりこなくってもやもやしていたんだけど、お鈴ちゃんのレビューとか「ポニョ」を経ると、感じられるところがぐぐっと深まってものすごくおもしろい。
特に「ポニョ」に顕われている、他者や異界を軽々と受け容れる歓迎の態度を経験した後に観ると、「ハウル」にもその萌芽があるのかなーとか思って、深々と感じ入る。


戦わない
「ハウル」は、如何に戦わないか、ていうことかと思う。
自分を支配しようとする相手、暴力的に関わってくる相手に対して戦わない。かといって従わない、支配されない、ていうこと。

全編に満ち満ちる戦争の気配、きなくさい暴力の前兆が充満する細かい描写に改めてビビる。
被弾して入港する戦艦、ビラを撒く軍艦、街を逃げ出す人々、爆弾を積んだ船が飛び交い、街が焼かれる。
一方で、どことどこの国がどういう要因でどういった戦争に至っているのかは皆目まったく全然説明されない。敵も味方もはっきりしない。
戦争の事情を理解しようとすることは、その事情に与されてしまうおそれがある。戦争という文脈に取り込まれない、頓着しない態度。

はっきりしているのは「戦いたくありません」ていう態度。
しかも、戦わなければ支配されるか殺されるかという非常に切迫した状況でそれを表明する。
殺すか殺されるか選べ、と迫られる状況で、どちらもイヤだ、という。

お鈴ちゃんは、吉田健一の言葉「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」によって確信に至った、てなことを以前話してくれたんだけど、この言葉と「ハウル」を結びつけるのは凄い。ものすごく鋭いし、創造的で素晴らしい感覚だと思う。

ハウルはソフィと寄り添ってサリマン先生にはっきり告げる。「あなたとは戦いたくありません」。
ソフィたちを守るために戦おうとするハウルを、「あの人は弱虫がいいの!」と言って守られるのを拒むソフィ。
この徹底して戦わない姿勢は、「ポニョ」の全方向への歓迎の態度と地続きだと思う。

与えられた呪いに抗わないソフィの態度もこれと近似値。
マルクルやかかしのカブはもちろん、自分を呪った相手である荒れ地の魔女、サリマンの犬、仲違いしていたらしい母親、全てに対してソフィの態度はひらかれている。
「ソフィはみんな連れてきちゃうんだな」
そんなソフィであるからこそ、カルシファーとハウルの閉じた関係をひらくことができた。のかなー、などと。


「派手ねえ」
細かいことだけど、この台詞、3回も出てくんです。たいした意味はないのかもしれないけど、気になって。
1度目はソフィが、髪の色がうまくいかなくって癇癪を起したハウルのドロドロ状態に対して言う。
2度目はハウル、ソフィが乗り物ごと城に飛び込んで瓦礫ゴタゴタ状態に対して「派手にやったね」。
3度目は荒れ地の魔女、街が空襲に遭い、近隣に爆弾が落ちる様に対して、悠然と「派手ねえ」。

いずれも、深刻にならない軽めなニュアンスで発せられてる。状況を軽くいなす感じ。
これも、戦わない、抗わない態度に通じるかなーとか思う。


倍賞千恵子と木村拓哉
アニメで、声優ではなく役者や芸能人が演じると厄介なのは、当の役者のイメージが強烈で、アニメのキャラクターと乖離を起してしまう、そのブレがノイズになっちゃうことだと思うのですね。
しかし宮崎駿作品の場合、そのブレさえも人物描写や物語に組み込まれているんですなー。

初見のときはもうとにかく倍賞ソフィの違和感がすごくって、うぎゃーん、こりゃいかん。て感じだったのですが、何度か観るうちに、倍賞ボイスはソフィの気持ちがハウルに向かっていくことの躊躇いや困難、壁として設計されているのだということが感じられて、唸りましたです。
ソフィの重い鬱屈「わたしなんか、美しかったことなんかないわ!」の説得力が、倍賞千恵子イメージによって増幅されます。こりゃすごい。

木村拓哉のハウルっつーのもこれまた。
ハウルは、幾つもの名前を使って虚像を生きていて、それはそのまま芸能人としてのザ・キムタクの虚像と被る。登場場面の気取りかえりまくった王子さまなハウルのキムタクっぷりは、既にギャグですか、ってツッコみたくなるくらい。
んで、ハウル=木村拓哉は自分が虚像であることを告白する。「本当は僕は臆病者なんだ(=本当は僕は虚像なんだ)」この台詞、木村拓哉の言葉だと考えると結構ヤバくね?
髪の色が変わってからのハウルは、虚像が裏返って、“木村拓哉の中の人”な訳です。
ハウルによって、木村拓哉が暴かれるおそるべき仕掛け。


訳わからん
「ハウル」が訳わからんのでダメだ、とおっしゃる向きに対してひとこと。
もったいないんで諦めないでください。

ていうか、わかるからイイ、わからんからダメ、っていうのは危ういです。
世の中すべてわかるはず、世界は明瞭で容易で自分にわかりやすく差し出されているはず、という傲慢な態度に近づく恐れがあるから。
まあ、たかが映画くらい、わからんことに悩まされずに観たいんすよ、っていうのもアリですけどね。

「ハウル」に限らず、鑑賞のヒントのようなこととして、
・音を消して観る。
・日本語以外で観る。
・機器の扱いが可能であれば、モニタ画面を逆さにしたり傾けたりして観る。
とかをお試しになるのもテかと。

要するに、話の筋立てや意味を追わないようにするんです。
上下をひっくり返したりするのは画の動きや構図など、映像の造形性を観やすくする方法で、絵画を観るときにもよくやります。
全然違うものが視えてきたり、今まで目に留まらなかった場面がふと入ってきたりするかも。







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