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「CURE(キュア)」「カリスマ」 [映画]

お気に入りの名画座・早稲田松竹にて黒沢清監督作品二本立て。
いやー、なんかいい運動した!みたいな、ほどよい疲労感が気持ちよい、見応えもりもりな充実感でござった。
決して後味のよい話ではないのに、なんかこう、妙に胸がすく。せいせいする。


「CURE」



なるほど、「虐殺器官」(伊藤計劃/早川書房)ってここからも来てるのかー。

構図とか、光のまわり具合とか、画ヅラがかっちょいい。
特に建造物の捉えが、構築的というか空間的というか、ゴン・ガツン・ガシンガシンて感じ(どんな感じだよw)で迫ってくる。
重くて密度のある造形で聳える。

廃墟・廃屋・廃工場みたいな場所がミョーに魅力的でほとんど官能的といっていいくらいなうっとり感。
石、コンクリ、鉄骨とかのガサっとした質感も繊細な光線のあたりぐあいに映えて冴え冴えとかっちょいい。
そういう官能とか冴えたかっちょよさは、実は死体の描写にもほの見える気がする。廃墟になった人体という建造物、みたいな。

萩原聖人のいかにもなヤバい人感とか、役所広司のイライラカリカリ葛藤する感、うじきつよしの安定したフツーの人感、女房の狂ってる感、医者の医者医者感、などなど、特徴を強調していかにも典型的に○○な人物描写をしつつ、ある場面でふっとその○○な印象を逸脱する言動をひらっと挟んだりする感じが、不穏で異形で不吉で狂ってて、凶悪に怖い。
常人がいきなり凶器をふるったり、狂人がいきなりまともなことを言い出したり、一貫して継続するであろうと予測していたものごとが裏切られる怖さ。いったい何が起こるか、まったく予想のつかない恐ろしさ。
とはいっても突飛すぎて納得しがたいってことではなく、むしろ凶事が起こった際の、ああやっぱり、な感じにも怖気。何が起こるか予想し得なかったはずなのに、やっぱり、って得心してしまう、むしろそれが起こることが必然であるとさえ思えてしまう。

ラストはさらなる凶事の幕開けを示して不吉極まりないんだけど、なんだか妙に爽やかにふっきれたような印象も感じられて、気分は悪くなかった。つか、気分いい。
全力疾走した後みたいにふーって息を吐いてみたりした。



「カリスマ」

こちらは樹影の成す光のコントラストが印象的。
これも上述の、建造物ガシンガシンな捉えが、樹木や森の空間にはたらいてるんだと思う。非人間的に冷徹に冴えてかっこいい。

双方が生きる道はないのか、っていうのはアシタカですかね?
生きようとする力と殺そうとする力の拮抗。
全体のために一部の犠牲は致し方ないのか、それとも一部には一部の生きる権利があるのか。

あるがまま。森全体なんてないし、一本の特別な木なんてものもなかったんだ。
ていう悟りは、非情で冷徹な世界に身を晒そうとする姿勢に見える。

世界の捉えの厳しさは、画の厳しさにも表れてるようにも思う。廃墟・廃屋=世界、みたいな。
廃墟・廃屋というのは人が居なくなって顕われる建造物で、そこには人の居なさ、人との関係なさ、みたいな佇まいがあって、そして、世界は廃屋のように人の居場所など備えず、人と関係なく、ただ、厳然と在るのかもしれない。
そこにあるがまま、身を晒そうとすること。

ちなみに、頭をハンマーでごーん、ていうのは、不思議にワクワクした。ワクワクっていうか、萌えた。
神経症患ってた頃、慢性的な頭痛や、頭蓋の中に蜘蛛の巣とか綿埃とか石綿みたいなものがみっちりぎっしり詰まってるみたいな不快感に悩まされてて、自分の頭をぐしゃーっとどぱーんとぶっトバ潰したい、とか思ったのを思い出した。



黒沢清作品で初めて観たのは「トウキョウソナタ」なんだけど、これんときはもうねー、あまりにもアレな不当解雇っぷりとか労働法制の抜け作っぷりとか大嘘過ぎるハロワとか家父長制全開オヤジとか、いちいちカンに障るツボが多過ぎ、ムカついてちゃんと観れてなかったかも、と思い至ってみた。
○○っぷり、みたいな特徴を極端に描写する文脈がわからなかったので、嘘インチキに見えちゃってたし。

「CURE」とか「カリスマ」を経て、「アカルイミライ」の“君たちを許す!”とか“GO”のサイン、「トウキョウソナタ」の家族と世界の再生のラストシーンへの流れを思うと、なかなかグっとクるもんがあるかも。

けして甘くはない、厳しく冷徹に諦念を備えながらも、儚く希望を抱いて世界と向かい合う姿勢が視えてくるように思うのね。
そして、世界の捉えが厳しければ厳しいほど、その希望の儚さがかけがえなく胸に迫る。


イイもの観た。よかった。








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コメント 3

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ヒノキオ

キュア~(>_<)

なつかしいですね、
最初に読んだシナリオがこれと『HANAーBI』だったので
未だに「日本映画」という響きから『CURE』を連想します

黒沢映画は一度ハマっておくと
もう次から氏の撮る映像の何もかもが気持ち良いという
ちょっとズルい作風ですが、
それを真似しようとして失敗した映画が一時期やたらあった印象です

まだ子供だったので『カリスマ』の頭をゴーン!は結構なトラウマで.

黒沢映画は「そこにある被写体を的確に映すことが映画のすべて」と
語りながら
決して現実には映りえない「未知」を求めてる気がします

その対象が恐怖だったり希望だったりしても、
いずれにせよ映画を見ている時間を有意義なものにしてくれるんですよね
新作見たいな~

by ヒノキオ (2011-03-05 12:02) 

シロタ


ヒノキオさん、毎度いらっさいまし。コメントありがとう。

キュア〜って、顔文字つけると鳴き声みたいですね(笑)、そういう鳴き声の動物居そう。

そんなわけで、黒沢二本立て、堪能しましたです。
これは映画館で観られてよかったです。
画の見応えはもちろん、音の効果もただならないですね。洗濯機の音とか神経にクる感じでたまらんです。止めろ!きー!(笑)

「回路」が観れてないので、観たいんですよねえ。


ところでヒノキオさん、「虐殺器官」は読まれました?
「CURE」で「パトレイバー2」ですよね、あれ。

by シロタ (2011-03-07 09:36) 

ヒノキオ

はて、どっかで見たタイトルだと思い椅子を回転させてみたら、
後ろの本棚に積ん読してありました

CUREでパトレイバー2?! WHAT?!

今読んでるの終わったらその次これいってみます.
by ヒノキオ (2011-03-07 23:53) 

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