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「Pina / ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」 [映画]

→公式webサイト(予告篇がはじまります)

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凄かった。鳥肌。
身体表現てクるときにはすごいとこにクるね。

ピナ・バウシュという人の舞踏は全然知らなかったのだけど、いわゆるヒップホップダンスみたいな、音楽のリズムに添った動きの快感ではなくって、むしろそういう快感を否定するみたいだった。
ていうか、普段TVとかで目にするダンスの類は音消したら観てらんなくなる、つまり実はダンスじゃなくて音楽を観てるのかもしれない、と気づいた。

で、そういう音楽の快楽じゃなくって、純化された肉体の官能・モーションの快感(あるいは不快感)、みたいなものが圧倒的に迫ってくる。
ただキレイとかカッコいいとかではなく、もっと生々しく匂ってくるようで、なんかこう気圧されるというか、嫌悪すれすれみたいなとこもありつつ。
快とか不快とかおもしろいとかおもしろくないとか超えて、目が離せない。
観てる間中、なんか泣きそうになってた。

中腰の姿勢から片方のかかとを、くっ、とあげる、ただそんだけの動きに、背筋がざわーっと痺れてみたり、ほんの小さな動作ひとつにハッとさせられる。

または、繰り返し反復される動作に耐えられなくなりそうで、きーって叫んで殴りかかって止めたくなる。

もしくは、水や土を浴びてまみれるような激しい動作に、その激しさとは裏腹な、素朴で暖かな充実感・静かな充足を感じたり。

観ていて、泣きたいような、叫びたいような、誰かにしがみつきたいような、狂おしい衝動がこみあげてきて、なんかもう大変だった。
あーもー忙しい忙しい@自分内w。


舞台の演出そのままの場面だけでなく、合間に挟まって、街とか森とか工場とか舞台以外の風景を背景にダンサーが演技する場面があって、それがまたキいてくる。
舞台じゃない、観ている側の生活の場面にも重なるような一般の市街・そこいらの風景に、およそ一般的ではなく日常的でない動きをする人が配される。
その動きに呼び起こされる身体、その息づかいや佇まい、それが自分の体にも息づいていることが思い起こされる。
自分は観ているだけの観客ではない。っていうかな。
自分も動いている、踊っている、生きている、その体。と気づかされる。

また、演じたダンサーの肖像が、句読点を打つみたいに挿入されるんだけど、この佇まいがまたイイ。
ヘンな言い方だけど、どの人もダンサーっぽくない。そこいらに居そうなフツーな感じ、佇まい。
普段の生活の中での悩みとか喜びとか、そういう思いが全部込みでその人である、そのままの感じが滲み出るような。

舞台の場面でもそうなんだけど、規格の整ったピカピカ優等生ダンサーって感じじゃない。
年齢も体格も人種もさまざまな人が、それぞれの人生をそのまま背負ってる。


3Dで観たけど、その効果のほどはよくわかんない。
別に3Dじゃなくてもキそうな気がする。

いいもの観た。






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