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「恋空」美嘉 [書籍]

ケータイ小説という媒体自体に嫌悪感はない。
ハードが多様化すれば、コンテンツも変わるであろ。
だいたいが、あんなちまちましたちっこい端末をいじってまで、小説なんかを読んだり書いたりしようという根性は見上げたもんだ。
ケータイコンテンツからとんでもない名作傑作が生まれるかもしれない可能性はゼロとは言いきれまい。

この文章は、紙媒体で読むのに適していない。
ケータイ端末で読むことに非常に特化した文体だと思った。
ケータイコンテンツに親和性を持つ世代をまざまざと目の当たりにした感じで、ひょえー、と思った。
これをすらすら読めちゃうのか。おそるべし。

おもしろいと思ったのは、奇妙な文体。
主人公の一人称で語られる小説かと思っていたら、妙な具合に三人称が混ざる。
なんじゃー?と思っておったら、どうやら主人公の一人称が「美嘉」なのであった。
子どもが「ミカ、お腹減ったの」とか言うのと同じ調子で、会話文も説明文も全部一人称「美嘉」。

主観描写と客観描写が混濁し、なんつーかな、ある種の病理を感じさせる。
混乱している主人公の描写。
ダニエル・キイスみたいな、っつったらちょっと褒め過ぎだけど。
で、混乱しているままでまったく問題なく日常を過ごして、違和感を覚えていないような。
意図的になされたことだったら、こりゃすごいと思うんだが、そうでなかったら、それはそれでコワい。

これを書いた美嘉という人は、常日頃からそーいう主観と客観が混濁した状態でいて、それを自覚していないんだろうか。
でもまあ、考えてみれば、誰もが自分のノーミソで現状を処理しているのだからして、主観も客観もへったくれもなく、誰もが混濁、混乱しているのかもしれない。

しかもだよ。
その混濁した文体で語られるのは通俗極まりない女子高生の日常ときたもんだ。
レイプやら妊娠やら癌やら、もろもろの悲劇までも日常性を帯びて主人公の身の丈におさまってしまっている。
この身の丈、日常感、なんか既視感があると思ったら昼メロだ。
ドン退きの悲劇をお茶の間で楽しんでいただける、あの下世話な感じ。

この奇妙な混濁の文体が意図的になされ、さらにそれをひきたてる仕掛けが施されていたら、なかなかおもしろいものになったかも。
この他愛無いケータイ小説に激しい罵倒を加える人々は、実はこの「おもしろくなりそうな可能性」に嫉妬してんじゃないかと思ったりする。
タグ: 恋空
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コメント 2

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通りすがり

恋空を「ある種の病理」、「主観と客観の混濁」といった方面で評価されている方を始めてみました。
非常に面白いと感じました。

この単語だけ抜き出すと、クトゥルー的な本になりそうですが。

by 通りすがり (2009-05-21 21:48) 

シロタ

通りすがりさん、コメントありがとうございます。

クトゥルー!(爆笑) 確かに!
by シロタ (2009-05-22 08:59) 

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