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ノーム・チョムスキー [映画]

世の中、嫌なニュースが多過ぎる。
確かに嫌な事件は多いのかもしれない。
けれど、それを扱う嫌なニュースは、明らかに多過ぎる。

嬉々として事故や事件に食らいつくマスメディア。
亡くなった方の遺族にマイクを突きつけて「今のお気持ちは?」
或いは、勿体ぶった識者のしたり顔。

そんなニュースが如何にも重大事のように扱われつづけると、気が滅入ってくる。
世の中はこんなに悪意に満ちてる、いいことなんて何もないんだ、と繰り返し繰り返し突きつけられるような気さえするのだ。

映画「チョムスキーとメディア マニュファクチャリング・コンセント」 配給会社シグロの紹介サイト

「チョムスキーとメディア マニュファクチャリング・コンセント」のDVD特典にインタビュー映像がついている。内容は、チョムスキーが映画の内容と彼の言論活動について振り返るもの。
「(映画を観て)人によって絶望感をもつらしいのです。万事が操られていて自分たちは全く無力だ。降参だ、とね。文化の特性がこれを助長している。偶然ではありません。 大きな力をつぎ込んで、人々を孤立させ、希望を奪い、瞬時の充足のみに走らせようと仕向けている。」
嫌なニュースは「いわれない絶望感を蔓延させる」と。

そして、
「私や、この問題を論じる人々に責任があります。そんな印象を与えてはいけない。」
と、結んだチョムスキーは、後に製作された「チョムスキー9.11」で、何度も「世の中はよくなっている」と言う。
「世界はバラ色ではないがよくなっている」と。


実際に、世界がよくなっているかどうかはわからないけどさ。
世界なんて見えないし掴めないし。
自分の身の丈のことしかわからない。

だったら、とりとめのない世界を掴もうとする前に、もっと身の丈に合った身近な事物を掴もう。
BAD NEWSがそんなに重大事なら、GOOD NEWSも重大事なはずじゃないか。
私には、殺人事件よりも、大切な人たちや愛おしい風景がある。
ごく身近なところに必ずハッピーがあるし、それはその気になったら当たり前に手に入るんだ。

私は、世の中捨てたもんじゃない、ってことを信じたい。
絶望なんてするもんか、ですよ。
ましてや、誰かが意図的に絶望させようとするのなら、そんなんにひっかかりたくない。いけすかねえ。

No More, BAD NEWS!
世界が何色なのか、誰かに決めてもらうなんて、アホらしいってもんです。






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