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「革命の夜、いつもの朝」 [映画]

親愛なる全共闘世代へ

私はあの時代のことを何も知らない。
’60〜’70年代、世界が東西の亀裂に軋んでいた、そのとき。
あなた方は、何を思って行動したのですか?


フィルムはいきなりはじまる。予備知識がまったくないので戸惑う。
1968年、5月のフランス。
路上で熱く議論をたたかわせる人々。
学生が中心になっているようだけれど、壮年も多く、身なりもまちまちでひと目でそれとは身分・階級がわからない。とりあえずあからさまにブルジョア的な人は居ない、というくらいかも。パリ市民、という訳でもないらしく、市街から離れた農村から訪れている人もいるようだ。「人々」というしかない。
腕を組み合って「インターナショナル」を歌い、旗を掲げてデモ行進する人々。
工場を占拠してストライキする人々。

そして、またまた議論。
革命、デモ、ストライキ、バリケード、サボタージュ、労働者、ブルジョア、経営者、CGT、ドゴール政権、選挙……。
わからない。
何かが起こっている、ということ以外、わからない。
でも、その「起こっている」というリアルな空気が強烈に伝わってきて目が離せない。

何かが起きて、あっという間に終わった。

エンドロールに重なって、撮影の様子がちらりと示される。
数字を記したメモ帳でマイクを小突いたり、手でマイクをつつく仕草がカチンコ代わり。
急ごしらえでカメラをまわし、とにかくその場で起こっていることを記録した様子がわかる。
ウィリアム・クラインの視点は、個人に徹している。客観的に伝えようとは思っていない。
このとき、この場に居合わせた人間のひとりとして、思わずカメラをまわした。そんな感じ。

学生らしき人物が、シトロエン工場のストライキを囲んで揶揄した。
「ブルジョア社会の将来は僕ら次第らしい。そう、僕らは幹部になる。全く救いようがない。18歳で好きなだけ騒ぎ、25歳で会社の部長になって“労働者はまっぴら”とか言うんだ。大学時代とはまるで逆のことをぬけぬけと言う。」

フィルムの終盤、「革命」の終わりに、ラジオから放送される活動家の言葉。
「何も起こらなかった。それでもいい。カマラード(皆)、続けよう。新たに運動が始まったとき、我々はより大きく強くなっている。そのとき彼らを革命の戦線に導こう。」


全共闘世代と呼ばれる方々、心覚えはないですか?
いったい、何が起こっていたのですか?
あなた方は何を思い、何を夢見ていましたか?

そして、今、そのことをどう受けとめていますか?

非難するつもりはなく、揶揄でもなく、ただ純粋に知りたいのです。



※注
・下記のブログの記事を参考にさせていただきました。
whaplogの記事「二人の写真家」





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