「エル・スール」 [映画]
早稲田松竹で「ミツバチのささやき」と二本立て上映。となりの席は水筒持参の森ガール風知的オサレ女子。小ギレイな青年もちらほら、場内オサレ度高し。アート嗜好強そげな感じ?
ビクトル・エリセは10年に1作くらいの非常に寡作な監督で、けれどもその数少ない作品、今んとこ長編三本なのかな?が高く評価されてる映画監督であるらしい。へえー。
で、「エル・スール」。スペイン語で“南”の意。
ひとりの少女の目線から父親の人物像が描写される。
幼い頃は、大好きな、なんでもできるスーパー父ちゃんな訳だけど、少女の成長と共に、父親として以外の顔も見えてきて多面的で立体的な奥行きのある人物像がたちあらわれてくる。スペイン南部に生家があるらしい、とか、結構お坊ちゃんだったらしい、とか、政治信条の違いから内乱の絡みで祖父と仲違いしてるらしい、とか。とある女性への思慕を秘めているらしい、とか。
南からやってきた祖母と乳母は、少女の知らない父、南の地での父の姿を思わしめる。
父が心を残しているらしい女性は南に住んでいるらしい。
南に抱く思いは、憧れ(と軽侮?)、思慕(と忌避?)、父への思いも相まって複雑な様相を呈する。
お話は、少女が南に赴かんとするところで終わってて、ホントは南の地でのお話の続きがあるはずだったらしいんだけど途中で終わってるそうな。
でもこれはこれで、想像の余地を残した余韻ていうか、観る側に“南”を預けられる感じでアリだと思った。つか、この終わり方好き。
ダウジングに使う振り子とか、少女がちっさいころから填めてる星の指輪、かもめの風見、聖体拝領の白いドレス、小さなものやちょっとした仕草のディテールがいちいち印象に残る。
劇中映画の扱いなんかすっごいキいてる。素敵だ。
なんかこう、立体感ていうか奥行きがたちあらわれてくる、深まりつつ鮮やかに顕現する感じは画づくりにも感じられて、初っ端、出だしの画で、窓の外が徐々に明るくなってきて、部屋の様子がおぼろげに映し出され、空間がたちあらわれてくるとこなんか、まさに。現出する。
現像液につけた印画紙に像がさーっとあらわれてくるみたいな鮮やかさ、その快さ。
質感とか、陰影に象られるテクスチュアも気持ちいい。石やれんがの手触り感、壁のざらざら感。
また、個人的に、スカーンと空間の奥へ抜けた広がりのある画ヅラに大変弱い訳なんだが(しょっちゅう抜けが抜けが、って言ってる。我ながらうるさい)、ダウジングで井戸を捜す場面のだだっ広感とか、1点透視図法みたいなパースペクティブの並木道の画ヅラに大喜び。シンプルなのに退屈じゃない。気持ちいい画だー。
でもって、画の動きがまた気持ちいい。
登場人物の動きや表情を追ったり、ごく自然な動きなのに、びっくりするくらい奥ゆきや深みを感じさせる。立体映像をみてるみたいな、って言ったら言い過ぎだけど、印象としてはそんな感じ。
ウィキペディアでちょろっと調べたら、溝口健二に感銘を受けた、みたいなエピソードがあって、あーはいはいなるほどなるほどー、て激しく納得。
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