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「崖の上のポニョ」再鑑賞 [映画]

再鑑賞。ていうか、DVDを入手(発売日に勇んで購入)して以来、何度も観てんだけども。しかし何回観ても、同じ場面(金色の魚がすごい勢いで上昇してゆくとこ)で、じわっと泣けてくる。何故だ。
劇場鑑賞ののちコーフンして書きなぐった感想とか、コーフン冷めやらず追記したフジモト考とかに我ながら呆れつつ、再びあれこれ思ったところを書いてみますのです。


ディジェネレイション(degeneration)
ついこないだ読んで感銘を受けた書籍、「デザイン学―思索のコンステレーション」で紹介されていた概念。
ディジェネレイションとはジェネレイション(generation)に否定とか逆転の接頭辞「de」が付いた語で、退化、減退化、退行、退行化などと訳されます。
一般には、進化とはよきことで、その逆の退化、退行は否定的に受け取られがちであるところ、この書籍では「潜在的、根源的な生成の契機として積極的に捉えようとする(p.68)」ものです。
根源への遡行。秩序から混沌へ。始原の海へ。そして再び生成へ。

「崖の上のポニョ」を観ていて、このことを強く感じた訳なのです。
フジモトの台詞「この井戸がいっぱいになったとき、再び海の時代が始まるのだ。カンブリア期にも比肩する、生命の爆発!」なんかはまんまだし、人間と魚の姿を行き来するポニョとか、デボン紀の古代魚が泳ぐ海、その海に沈む町、足の萎えた老人が立ち上がって走り出す、生も死も混沌とした世界。

考えてみると宮崎駿の作風の変遷もディジェネレイションと言えるのかも。特に「天空の城ラピュタ」から「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」を経て「…ポニョ」に至ると、混迷というか混濁というか、混沌の力を備えて“退行”している。秩序だって単純明快な冒険活劇の爽快さはないけど、曖昧ゆえにさまざまな解釈の可能性が広がる豊饒さ、厚み、深みを有する。

(「…ラピュタ」ファンのなかには「…ラピュタ」好きが高じてそれ以降の作品の傾向を「劣化」と貶す向きもあって、例えば大学ん時の友人の嘆きようときたらまあ激しかったが、うーんまあ理解できなくもないんだけども。一方で今にして思えば、宮崎駿がどんだけ「…ラピュタ」の呪縛から逃れようとしてきたか、たぶん、またラピュタみたいな作品つくってくださいよーってうんびゃくまん回くらい言われたと思うんだよね、とか推察するに、作家として新しい表現を模索していこうとするスタンスを絶賛支持したくなるのな。それにしても、そんなに難解かなー。で、難解なのってそんなに嫌かなー。まあそんだけ「…ラピュタ」が好きってことなんだろうけど。)


死の気配
全体に漂う、死の気配の濃厚さに改めてぎょえー、とか思う。死んでますなー。
ていうか、「…ポニョ」死後の世界説、とか初めから誰も生きてない説、とかあるらしい。
それにしても重っ苦しくなく、異様にけろっと描かれてんのに驚愕と戦慄ですな。禍々しくないわけではないんだけども、軽快で明るい。

以下、ぎょえー、なとこ。

・リサが出発するとこ、宗介との別れ
・船の墓場
・月が近づいてくる(異界の接近)
・人工衛星が落ちる
・沈んだ町
・放置されたリサカー
・トンネル(異界への入り口)
・空の車椅子がずらっと並ぶ
・歩けるようになった年寄り
・グランマンマーレと話をするリサ
・「リサさんつらいでしょうねえ」

そもそも海は、陸上の生き物にとっては生と死のあり方がまるで違う、異界。死の世界。

ひまわりの家の年寄りは嵐のときに死んでる。だもんで生の苦しみから解放されて軽々と走り、ポニョが受け容れられるか否かの試練の立会人となる。
リサも死んでる。放置されたリサカーの暗示、悲しむ宗介。
グランマンマーレは普通の人間には相対できない、認知できない存在だと思うのね、海そのものみたいな。船でグランマンマーレに出くわした耕一たちにはデカ過ぎな観音様。そのグランマンマーレとサシで話すリサは生きてる人間じゃない。

トンネル越えた向こうっ側は既に死の世界。全存在的に生に向かいまくるポニョは「ここ嫌い」て言う。で、あずまやのとこは彼岸かな。トキさんは生きてた。その後水ん中通るときにポニョの妹たちが顔のとこに泡の空気膜をつくってくれるのね、息ができるように。息しなくちゃなんないなら、生きてる。
クラゲみたいなドームん中は生の世界と死の世界がクロスしてんだと思う。このとき、トキさんと宗介だけ、しゃべると泡が出てる=息をしてる。再々確認。違った。みんな泡出てるね。笑。どうやら生きてるか死んでるかとかが既にどうでもいい世界であるっぽい。

宗介がポニョを受け容れて、“世界のほころびは閉じられました”ってとこで、再び生と死が分かたれ、リサたちは生き返り、ポニョは魔法(命の水由来だから、たぶん不死性でもある)を失ってフツーに死ぬ人間になる。リサたちの命とポニョの不死性が引き換えなんじゃないすかね、ってのは深読みしすぎか。


他、細かく気になるとこ

・子どもを一人前扱い
宗介は親を名前で呼ぶ。最初、すんごい違和感があったけど、友達親子的なしくずしな親子関係の崩壊ってことでもなく、親は親の責任を果たそうとするし子は親を尊敬しつつ互いにいたわり合う関係であるし。極端な表し方だけど、親子であっても対等の一人前扱いってことなのかと。
逆に子どもを庇護すべき半人前として扱うのはフジモト。「いつまでも幼く無垢であればよいものを」「実の父に対してなんということを」「たった5歳で」とか地味に権威的な台詞を吐いてたりする。でも、そのフジモトを全然権威的でない所ジョージが演じてるあたりで、親の権威が無効化されてる。

・「僕が守ってあげるからね」
宗介の台詞。何回も言ってる。本人も「約束した」ってえらいこだわってる。

・ポニョと宗介の邂逅、妹たちの祝福
ポニョが宗介のもとに辿り着いたとき、妹たちがキラッキラに祝福する。呪術的な感じもする。めでたいことってめでたいから祝福するんじゃなくって、祝福するからめでたいのだよね、とか思う。

・ポニョと赤ちゃん
ポニョが赤ちゃんに対して示す興味・関心。なんか感応してるっぽい。ポニョも、赤ちゃんも。


ふー(嘆息)。
まー他にも観るほどにいろいろと気になることが出てきそうではある。ていうかどんだけ好きなんだよ(笑)。


(追記)
・ついつい日テレの煽り番組(ポニョはこうしてつくられた、とかいう)を観てしまった。タレントとアナウンサーどもがウザくてウザくてウザかったが、所ジョージのインタビューんとこはよかった。「未だによくわかんないけど、いいじゃん。楽しいもん」とか、「お話とかキャラクターがどうこうっていうより、動きが気持ちいい。風が気持ちいい」とか言ってて、ソレだーー!って思った。大事なとこはそれだよな。この人自分の仕事わかってるなあ。

・ブログや映画レビューサイトをひとわたりチラ見。うーん。「訳わからん(だからダメ)」「ナウシカ、ラピュタ、トトロ(的作品)、カムバック希望」な感想が結構目について困る。そういう感想ばかりではないし、別にわたしが困るこたないんだけど、うーん。
そんなにわかんないかな。ていうかわかんないことってそんなに不快で苦痛なのかな。所さんみたいに、わからんけどいいじゃん、ていうのじゃいかんのかなー。などと。




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コメント 9

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エンジェル

おぉ、タイムリーですね♪
確か、今夜TV放映されるはず。

>宮崎駿の作風の変遷もディジェネレイションと言えるのかも
なるほど~!
その視点で観ると、いろいろ合致する点も多そうっす。絵の作風自体そうだもんね。
今夜のTVが楽しみだ♪
by エンジェル (2010-02-05 16:28) 

シロタ


「あと○日!」ていう放映前CMについ触発されましたのです。
当の放映時は「剣客商売」を観ておったんですけども(笑)。

>絵の作風
手描きも原点回帰だもんね。波の上を走るポニョなんかはコナンとかジムシーな超人アクションを彷彿としますな(笑)。


by シロタ (2010-02-06 09:23) 

ヒノキオ

メッセージありがとうございました^^

シロタさんのゼロ年代ベスト拝読して 
自分が照れて「宮崎アニメ固め」を出来なかったことを少々恥じておりました

実際、この10年を振り返った時に自分の「心象風景」に何が映るか、
ベストっていうのはつまるところそういう事って気がするのですが
その点でいくと千尋の湯屋、そしてハウルとポニョの風は
まぎれもなくベストだったと思います

それと、これまた照れて入れられなかったのですが
りんたろう監督の『メトロポリス』のラストの「屋台崩し」が
印象に貼りついて仕方なかった時に、
まるで自分のその心象を現実に映すかのように「9.11」が起こって
「あ~」と変に納得してしまったことを思い出しました

あの時「ハリウッド映画みたい」という論評が流行りましたが
あれも実際の事件の関係性というより
あの映像を見た人それぞれの中で ハリウッド映画やアニメなどを通して
自分の心の中に残っていた心象風景と現実がリンクするような
不思議なカタルシスが生じてしまったのではないかと

予言とか怖い話ではなく
みんなの心に共通して残るそういった瞬間を捉えた映画っていうのは
時代を超越した魅力を持つと同時に
その先に起こる何かを触発しうるという点に於いて
非常に「時代を代表」できちゃうと思います



『ポニョ』 僕は傑作だと思ってるんですが
位置的には『宇宙戦争』と同じ
「その快感」に気付けないままでいると入れない映画かもしれませんね
こちとら幼い頃からジブリに洗脳されてる世代なので
もうめちゃくちゃ自然に入っていけました

宮崎駿監督、もうずーっと前のインタビューで

「“そこは草原かどこかで 風が吹いて、
 あ、なんか目の前通ってったな、って少女が想う”

 っていう場面をこれでもかってくらい描けたらそれで満足」

ってなことを語っていて(この一言を読んで宮崎信者になってしまったんです)
多分『ポニョ』でやっとその時描きたかった
「それだけのことをこれでもかってくらい」を達成出来たんじゃないかと

その途中で その「それだけのこと」の対極にある「漫画版『ナウシカ』」も
描いてるだけに ポニョの「それだけのこと」は
「それだけ」だけど「物凄いポテンシャルの“それだけ”」だった気がします

あ、黒沢清監督は『ポニョ』にノックダウンされたようですよ

元々スプラッターの『スウィートホーム』なんか
非常に宮崎アニメ的な 邪悪な“風”や理屈を超えた理屈を描いてる人でしたから
(『トウキョウソナタ』もどこかそんな雰囲気)
『ポニョ』に影響されて
黒沢監督の次回作で作風が変わってたりしたら面白いのですがw
by ヒノキオ (2010-03-11 23:44) 

シロタ


ヒノキオさん、濃厚なコメントありがとう!

わたしは「ポニョ」を観て、ようやくもののけやハウルでやってること・やりたかったことがわかったような気がしたんですよ。

それっていうのは、

>多分『ポニョ』でやっとその時描きたかった
>「それだけのことをこれでもかってくらい」を達成出来たんじゃないかと

ていうことなのかな、と思います。
これがやりたかったんだ! ていうことの全部がポニョに出てるのかな、と。
というより、宮崎監督本人も制御できないようなところで “キちゃった”みたいな。
“あ、俺ってこれがやりたかったのかー”って、できたものの後からわかるような感じだったんじゃないかなー、とか、勝手に想像してます。


「宇宙戦争」は、「ポニョ」の後に観たのがすごくよかったのかもしれない、と個人的に思ってます。


by シロタ (2010-03-12 11:50) 

お鈴

シロタさんおはようございます^^

最近、また宮崎駿関連にどっぷり浸かりつつありまして、
ポニョを観た人の考察もいろいろ読んでしてましたら、

なんか凄過ぎて頭の中が大洪水になってしまいました。笑

ネット上のポニョ考察で、

みんな『なんか怖いよ〜』っていうけど、
大丈夫怖くないよ。
境界があいまいでとびこえまくるけど、
どっちの世界に振り分けられても仲間と仲良く生きてきましょうってことだもん。
というかそうやって楽観する域に達した宮崎駿が怖い。笑

といったものがあって、なるほど!たしかに宮崎駿はますます怖くなった!
と思いました。笑

ポニョを観たとき、
わ、もう万物にも次の世代にも全力の愛情を贈ってしまった…。
もののけで生きることを肯定するために血みどろになってから、
ここまで浄化されていった。
ほんとにこれが最後の作品になるかもしれない… 
(美術館で短編を作るのにシフトかな)
と思いましたが、

ポニョがハウルより入らなかったから、士気が高まったとかで
2013年に新作予定なんだそうですね。笑

ここまできてどうなるのかすんごい楽しみです。


>「ナウシカ、ラピュタ、トトロ(的作品)、カムバック希望」な感想が結構目について困る。
私も勝手にこれ困ってます。笑
ナウシカもラピュタもトトロも大好きなのに、
この言葉の後にだいたい「ハウルとかポニョとか酷いし」
が付いてたりするので、
クラシック名作を嫌いになりそうで大変です。苦笑

by お鈴 (2010-06-10 08:14) 

シロタ


お鈴ちゃん、毎度いらっしゃいまし。
宮崎駿語りは遠慮なくどんどんやっておくんなさい(笑)。

>というかそうやって楽観する域に達した宮崎駿が怖い。笑

言えてます!そのとーりだ。
ていうかお鈴ちゃんは「ナウシカ」漫画版を読もうよ。
「もののけ」の血みどろの戦いにも増して、ぎりぎりのところまで自分を追い込んでて、なんつーところまで深まっていってしまうんですかー、て、くらくらすんよ。ぜひぜひ。

その上、また新作ですと!
すごいなー。ポニョで宮崎駿は完結したと思ったのに、そこからまだ進もうとするんだね。


>>「ナウシカ、ラピュタ、トトロ(的作品)、カムバック希望」
ほんと、困るよね(笑)。
新しい表現へと進むために、どんだけしんどい思いで以前の表現を乗り越えてきたのか、って思うと、「また前みたいなやつつくってー」とか簡単に言えないよ。

まして、ハウルやポニョ全否定されんのは寂し過ぎる。
そりゃ、好き嫌いとか合う合わないはあるかもしれないけど、それならどこが嫌いでどうして合わないのか、自分で感じてみよう、って向き合ってみてほしいんだよね。
まるで受け容れようとせずに「ラピュタじゃないからイヤ!」って思考停止されるとどーしよーもないよ。
ハウルやポニョを経験するからこそ、さらにラピュタが楽しめるようになることだってあると思うのに。
自分で鑑賞を狭めてて、ひじょーにもったいない態度だよ。


by シロタ (2010-06-10 18:28) 

お鈴

ありがとうございます〜。
シロタさんのブログ(に限らずですが)居心地いいです〜。^^☆
ポンと瞬時に受け取ってくださって新しいことを教えて頂けるんです。いつも。^^

>その上、また新作ですと!そこからまだ進もうとするんだね。
もう、格好良過ぎですよね。
年々、綺麗な白髪のおじいちゃんに惚れ込んでいってます。
彼は私のヒーローです。
(私の、だなんて傲慢。笑 そう思ってる大勢の人の一人です。笑)


>ハウルやポニョを経験するからこそ、さらにラピュタが楽しめるようになることだってあると思うのに。
なるほど確かに! 自分の中のラピュタがもっと豊かになるチャンスなのに…。
ポニョ公開時、毎度のこの意見の洪水にウンザリしてまして、
(で、毎度声優へのグチも起こりますね^^:もーほんじゃほかの作品観ればって毎度乱暴に思っちゃうんですが。^^:笑)
ヒノキオさんに
『もう家でずっとラピュタ観てれば?』って言いたくなるのを堪える。とグチったら、
“わかる。っていうかそれ言っちゃうかも。笑” と賛同してくださって、笑
スッキリしました。笑


そして漫画版ナウシカ!
読みたい、読まなきゃと思いながらさき回しにしてきたものです。汗
もうこの作品で宮崎駿は悟りを開いてしまって、
だからこそ千と千尋みたいな娯楽作品が作れたんだよ。
という意見をどこかで読みました。
機会つくって読まなくちゃですね〜。ワクワク。
by お鈴 (2010-06-10 21:23) 

お鈴


シロタさんの次々の宮崎駿作品考察、読めるの嬉しいです^^
少しずつコメントさせてください^^☆

わたくしようやっとナウシカ漫画版読みまして、
脳の宮崎駿スペースが三週間ほど大更新中でした。笑

これ読んでから『ポニョ』をみつめるとさらに面白いですね!
フジモトの農場計画、あらためてめっちゃ恐ろしいことじゃないの!(思想が墓だ〜)
とか、
『真理がなんであろうと与えられた世界で生きて行く』
はずっとかわらないんだなぁ…と思いました。


ナウシカの結末では
「なんちゅう重たいものを16の少女に負わせるんじゃい…」と思いましたが、
同じく計画を台無しにするポニョは、悪気も覚悟さえもなくて、
ただただ生きる悦びに満ちてますよねぇ…^^

ナウシカの『生きねば』→『生きろ』ときて

『生きる楽しさ、愛する歓び。それが世界の約束。』(ハウル)
『生まれてきてよかった』…


この流れはほんとに美しくて感動的だなぁと思います。




by お鈴 (2010-07-23 22:56) 

シロタ


おー! 読んだんですね、漫画版「ナウシカ」!
もう否応なく脳更新されちゃうよね。笑

わたしもまた読み返そうと思ってるとこです。
「もののけ姫」は漫画版「ナウシカ」と切り離せない感じ。
ていうか、「ナウシカ」の物語は、宮崎駿のコアというかハブというか、中心に位置してて、そこからどのお話も繋がってる気がします。

フジモト=墓所って、そっかなるほど!
そう考えると、フジモトは、あんだけ大事に貯め込んだ“命の水”をぶちまけられて計画を台無しにされて、それでも子どもたちを信じる、宗介と握手してポニョを託すのがすごいよなー、と思うですよ。

「生きねば…」から「生まれてきてよかった」に至る流れは、本当によくぞそこまで辿り着いてくれた、本当によかった、って思います。


ところでわたしはつい先刻「ゲド戦記」(ようやく今頃)を観たとこなんでした。
とやかく言われてるほどヒドいとは思わないけど、とても苦しいね。全編に、暴力とか不条理とか苦悩とか不安がたぎってる感じ。必死過ぎてしんどい。
で、その「ゲド戦記」の苦悩をも祝福するために、「ポニョ」が生まれたのかと思うと、なんかもう嗚呼!とか感嘆符しか出て来なくなる感じ。


お鈴ちゃんのコメントには新鮮なイマジネーションを感じさせられます。
いつもありがとう。

漫画版「ナウシカ」についても、ぜひに感想を窺ってみたいので、いつかブログに書いてみてほしいなー。


by シロタ (2010-07-26 13:16) 

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