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「ドン・キホーテの「論争」」笙野頼子 [書籍]

今頃かよー、っていう乗り遅れ感満載ながら、笙野頼子の小説をざくざくもりもり読んでいる。おもしろい。ものすごく。
「絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男」「説教師カニバットと百人の危ない美女」「水晶内制度」「だいにっほん、おんたこめいわく史」「だいにっほん、ろんちくおげれつ記」(“ろりりべ”はH図書館になかったもんで中央図書館から取り寄せ予約中。図書館かよ。買えよ、おもしろいなら。←自主ツッコミ)と読んできてて、それぞれの世界が繋がってばちばちめりめり笙野ワールド展開中、ていうか、自分が棲んでる世界の姿がどんどん違って視えてくる。読前と読後で確実に世界が変わる。
うわーっ。

ていうところで、この「ドン・キホーテの「論争」」は、’90〜2000年代前半あたりの「純文学論争」ていう出来事の顛末がまとめられたエッセイ集なんだけども、上述の小説を読んでてどうもこのカギカッコつきの「論争」に関わることが出てくるようなので興味をもって読んでみたのだった。

カギカッコつきの「論争」になってるのは、実質のところ純文学を文学的にとか政治的にとか定義を噛み合わせて論じ合う論争にはまるで至っていないから。
文学評論家でもなんでもない某新聞記者が記名記事で、ほとんど気分で“「純文学」って意味なくね? 売れない=受け容れられないし”とイメージで言いっ放しにされ、それに笙野頼子さまが反論なさった由。

純文学とは何か、とか、笙野頼子の果たしている仕事についても興味深くはあるけれど、個人的には「論敵」の気持ち悪さが印象に残る。まともに反論して来ず、黙殺とニヤニヤ笑い、陰湿な嫌がらせをかましてくる、リアル“おんたこ”。

こういうの、強烈に覚えがある。
以前勤めていた出版社で、こういう連中がウザウザ居た。わたしは編集部で仕事してたんだけど、そのときの一部の営業部員がこんなんだった。大抵の出版社では営業と編集って仲悪いらしいけどね。わたしは“クソ虫”って呼んでた。

なにしろ、連中の言うことには「売れる本をつくれ」一辺倒。編集側が「んじゃ、具体的にはどのように? この著者は? この作品は?」とか聞くと、「そういう検討は編集の仕事だから」と返答を濁す。
エラそーにビジネス用語乱発して仕事してますできますオーラぷんぷんさせてるくせに、マーケティング的にこれが売れるから!ていうようなことを言ってくる訳でもない。ていうか、それを言っちゃうと売れなかったときに責任とらされるから、編集部門に責任をなすりつけるための予防線はってる。
つか、そもそも商品だけで売れるんなら営業なんか要らんわヴォケ。白紙のメモ帳でも、しかも紙なんか余りまくってる相手にでも、売ってくんのがお前らの仕事じゃ。
それにこいつら、ろくに出版物のことを勉強してなかった。学習指導要領のどこがどう変わったかで自ずと内容が決まってきたりするってのに、この内容が載ってない、とか、いやだから、どうしてそれが載らないかを顧客に説明すんのがお前らの仕事だっつの。
その上、売れないと文句いうくせに、編集資料として置いてある刷り余りの書籍をこそこそ持っていって、顧客に「献本」しちゃうし。著作権事情に疎い学校の先生は営業担当から見本をもらうとコピーしてガンガン使う。そんなんしたら本が売れる訳ない。
要するに、客とか上司とかにものが言えないので、言いやすい相手に文句言って責任逃れしてるだけ。

て、いうようなことをもう少し冷静な言い回しを心がけつつ言ってみたりしてたんだけど、そういうときの連中の反応が、まさに黙殺とニヤニヤなんだよねえ。きちんと理屈で反論してこない。できない。
「いやあ、シロタさん厳しいなー」「そんなにいじめないでくださいよぉ」的な。被害者ぶるなよ、いけ図々しい。終いには明からさまに避けられて、道歩ってるとモーゼ状態、ていうかゴキブリとかフナムシがざざーっと動くのにそっくりだった。まさに“クソ虫”。
別にわたしが絶対正しかったとは言わない。けど、わたし程度に意見を言うでもなく避けまくる態度ってなんなの。わたしを嫌いなのは構わないけど、仕事なんだから好き嫌いで行動すんなよな。

もちろん、営業部みんながみんなそうだった訳ではないけど。「イイと思うものをつくれ。俺が売ってきてやる」って言う超かっこいい人もいて、で、その人は編集に厳しいことも言うし喧嘩もしたけど変な誤摩化しはいっさいなかった。ちゃんと噛み合ってた。でもその人辞めちゃったな。
営業部も編集部も他の業務部も、まともな人がどんどん追いやられる印象があった。

で、「論争」と、“クソ虫”の跳梁跋扈は、年代がぴったり被っていて、なんだかそれが偶然の一致とかそういうことではなくって、たぶん、それは同じものなんだ、と、強烈に感じてしまうのだった。
“クソ虫”とは“おんたこ”。そういうことだったのか。
笙野頼子が書く世界、“おんたこ”がはびこりのさばる“だいにっほん”が、えらいことリアルに迫ってきて、決してそれが本の中のフィクションで終わらない、現実が描き出されてる、と感じられて戦慄してしまうのだった。





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コメント 2

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shim47

>営業部も編集部も他の業務部も、まともな人がどんどん追いやられる印象があった。

 元会社員としては大いに頷けるお話です。(もっとも私は優秀でもなんでもありませんでしたが)某製造業の営業所長を数年していましたが、あるとき某取締役に赤字を指摘されて「君がもしも自営業だったら今頃は夜逃げをしている身の上なんだぞ!」なあんて説教を食らった私は頭に来て『僕が自営業だったらこんな無駄な経費だらけのバカみたいな経営はしませんよ』と口答えをしてたっぷりヤキが入りましたw

 その後開業してもう5年以上経ちましたが未だに夜逃げはできずにいます。元の会社とは仕事上の付き合いが今でもありますが件の取締役はなかなか会ってくれませんですw
by shim47 (2009-09-25 10:07) 

シロタ

shim47さん、コメントありがとうございます。

>バカみたいな経営はしませんよ』
これ言える人からまともに意見を吸い上げれば、どんだけ経営がラクになるか、って考えないんですかねー。

その某取締役の言も、相手に夜逃げさせるほど無能です、って晒してるようなもんだと思うんですけど、恥ずかしくないのかしらん。

って、こういう悪態ならいくらでも言えそうです(笑)。


by シロタ (2009-09-26 09:45) 

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